転落後の「第2の人生」とは? バドミントン男子で元日本代表の田児賢一氏(33)が単独インタビューに応じた。現役時代は全日本総合選手権シングルス6連覇、2012年ロンドン五輪出場など国内外で活躍した。一方で、16年に元世界王者の桃田賢斗(28=NTT東日本)とともに〝闇カジノ〟への出入りが発覚。日本協会から無期限の登録抹消処分を受けた。現在はユーチューブで発信を続ける中、不祥事後の生活や個人指導の現状、今後のビジョンについて激白した。
――現在はどのような活動を行っているのか
田児氏(以下田児)日本に帰ってきて個人レッスンを開いていますね。僕はあの不祥事の後にマレーシアに4年ぐらい住んでました。現地に面倒を見てくれる人がいて、試合に出ることもありましたが、どちらかというとその方々の希望に沿って僕ができることをやりながら給料をもらっていた感じです。向こうで生活しているときからユーチューブを始めて、たまたま日本に帰国した時期が(コロナ禍の)緊急事態宣言と重なって渡航できず今に至ります。
――面倒を見てくれていた人とは
田児 ユーチューブでも紹介しているんですが、マレーシア人の50代男性と60代男性の2人です。ゴルフを趣味にしている人のようにバドミントンを楽しんでいる方々でビジネスで大成功されているのか、コート20面分ぐらいの体育館を持っていて。そこで月、水、金、日の週4日一緒にバドミントンをやるのが私の仕事になってました。日本人の僕が一番困ってるときに助けてくれたのが、日本人ではなくマレーシア人だったということですね(笑い)。
――不祥事からどのように立ち直ったのか
田児 どうなんですかね。立ち直るというより、何もできなくなりましたから。当時所属していた会社から解雇、協会から無期限の登録抹消を言い渡されて(仕事も競技も)全部なくなってしまったので。当時、僕はバドミントンしかやっていなかったし、世間では闇カジノのイメージだし、必然的に日本というのは(選択肢に)あんまりなかったですね。
――現役時代と比べると体重も増えて100キロとの情報もある
田児 ユーチューブで冗談っぽく言うと、すぐにウィキペディアで更新されて…。今はもっとありますよ。110キロぐらいあるんじゃないかな(笑い)。
――帰国後、当初は福岡が生活拠点だった
田児 2年間、小倉に住んでました。(レッスンの)お客さんがいたので。それから東京に来たのが、数か月前ですね。
――レッスンの対象者は
田児 要望があればどのカテゴリーでもやります。初心者の方から、名前は出せませんがトップの方まで。年齢でいくと7歳から65歳までですね。
――受講料や頻度は
田児 2時間6万円でやらせてもらっています。頻度はお客さんの熱量やお財布事情もあると思いますが、多い人は週4、5回入っている人もいる。僕が地方に行くこともあります。10回以上来てくれたお客さんを「固定客」と位置付けるとすれば、20人以上いると思います。
――指導内容は
田児 もちろん(人それぞれ)レベルはありますよ。例えば一般のサラリーマンの方が毎月1万円ためて半年に1回来るとします。当然、うまくなりたいと思っているに違いありませんが、冒頭に「楽しい」が来ないとダメだと思う。僕が(現役時代にトップレベルで)やっていたのは、楽しくなくていい。結果がすべてでしたから。そこは全然違います。
――仕事は収入面も含めて安定している印象を受ける
田児(処分を受けた)当時なら無理だったと思いますよ。すぐにやってもお客さんは来ないので。時がたてば流れが変わりますし、風向きがキツかったのが良くなってくるタイミングなどを計りながらやっています。
――風向きが変わった実感は
田児 TAGOKENというチャンネル名でユーチューブをやっているんですけど、最近は田児さんと呼ばれることもないですね。年配の方からも「TAGOKENさん」です。
――今後のビジョンは
田児 基本的に何かできることはないか考えてますが、結局決まってないんです。僕は外国人とのパイプもあるので、日本のおいしいご飯をフランチャイズじゃないけど、いろんな国で楽しめないかとか…。一つ言えるのは全然満足していないので、他のビジネスを展開したいと思ってます。
☆たご・けんいち 1989年7月16日生まれ。埼玉・蕨市出身。埼玉栄高2、3年時にシングルス、ダブルスで2年連続2冠達成。卒業後の2008年4月にNTT東日本に入社。1年目から全日本総合選手権シングルスを19歳4か月の最年少で制し、13年まで6連覇。12年ロンドン五輪代表。16年4月に違法カジノ店で賭博をしていたことが発覚し、所属先から解雇、日本協会から無期限の登録抹消処分を科された。19年に「TAGOKEN」としてユーチューブを開始。20年に協会の処分が解除された。












