【武藤敬司の軌跡(17)】グレート・ムタとして順調だったWCWを1990年の年初に離脱することを決断した。いくつかきっかけがあったけど、1つはマネジャーのゲーリー・ハートが辞めたことだな。そうしたらWCWは「ベビーフェースになれ」って。うまくいかないことは分かってるから「なら帰る」となってさ。前年に新日本の社長になった坂口(征二)さんに電話して「WWF(現WWE)に行きたい」って相談したんだ。
そしたら「レスリングサミット(※)でちょうどWWFのビンス・マクマホン・ジュニア代表が来るから紹介してやるよ」って。それと同時期に若松(市政=将軍KYワカマツ)さんが「SWSっていう新団体をやるんだけど、武藤さんをエースで呼びたい」って声をかけてくれたんだよ。
だから帰国した時はWWFとSWSが頭にあって気持ちは固まってなかった。ぶっちゃけ、新日本が一番ない感じだったな。だって若いからさ、好奇心があるじゃん。それで同3月23日に坂口さんの引退式があったから事務所であいさつして花束を渡したんだよ。その時に「新日本を辞めますわ」って言ったら「俺の引退式の日に、何、言ってるんだ!!」ってすげえ怒られたよ。
で、坂口さんがその場でSWSオーナーだったメガネスーパーの田中八郎社長に電話して「この話はなかったことにしてくれ」とか勝手に言いやがってさ! そのまま後楽園ホールのリングであいさつまでさせられて結果的に凱旋帰国になっちまったんだよ。この話でWWFのことも飛んじまってビンスとも会えずじまいだったな。その後、田中さんに謝りに行ったら今度は「天龍(源一郎)さんを引っ張るんだ」って。「うそだろ」と思ってたら本当になったからビックリしたよ。
でも、最終的にSWSに行かなかった根底の理由は、自分に自信がなかったのが大きかった。いくら米国で頑張っていても日本では実績がないから。何も“作品”をつくってもねえのに行っても、うまくいかなかったと思う。だから、今振り返ってみても行かなくてよかったんじゃないかな。
もしSWSに行っていたら? 俺に全部任せてくれたら、日米の懸け橋をつくるようなことをしていたかも。だって、当時米国のプロレス界で一番、幅を利かせている日本人は俺だったと思うからさ。メガネスーパーをバックに、SWSには金があったわけだし。そんなドタバタの末、俺は4月に凱旋試合に臨むことになる。いきなりのタイトルマッチだった。
※ 1990年4月13日に開催された「日米レスリングサミット」。WWFと新日本、全日本が東京ドームで合同興行を行った。













