【平成球界裏面史 近鉄編(2)】「巨人は、ロッテよりも弱い」。平成元年(1989年)の日本シリーズ、巨人が3連敗から4連勝して日本一となった勝因は、この第3戦の勝利投手、近鉄・加藤哲による〝暴言〟にあった、ということになっている。実際はそこまでズバリと言い切ってはいないが、そう取れる発言は確かにしていた。
巨人の選手や首脳陣が大いに憤慨していたのは事実だ。当時、全7戦を取材した私も、「加藤哲なんかにあんな偉そうなことを言われてたまるか」という声をコーチや選手から随分聞いた。
とはいえ、シリーズの流れ自体はもはや3連勝した近鉄のもの。第4戦の先発は第1戦で完投勝利を挙げたエース阿波野が予定されており、巨人4連敗の可能性は非常に高いと見られていた。
ところが、翌日フタを開けてみたら、先発は阿波野ではなく小野。シーズンでは12勝を挙げて優勝に貢献していたが、終盤に右肘の故障で戦列を離れていた。その功労者を晴れ舞台のマウンドに上げたいからと、阿波野が先発を譲ったという〝美談〟が残っている。
ところが、である。20年以上も経った平成23年(2011年)、当時近鉄の投手コーチだった権藤博氏に改めて事の真相を聞いて、私は驚いた。
3連勝して当時の宿舎・都ホテルに帰ってきた直後のこと。仰木監督は権藤コーチに対し、突然阿波野でも小野でもなく「明日は池上でいこう」と言い出したという。
池上は当時まだ4年目の22歳。シーズンで先発ローテーションの谷間に抜擢され、幸先よくプロ初勝利を挙げると、そこから3連勝(0敗)していた。仰木監督は若さと勢いを買ったのかもしれないが、胴上げ投手の可能性もあるシリーズ第4戦の先発は荷が重い。
権藤コーチはシリーズ前から第1、4、7戦の先発は阿波野と提案し、仰木監督も了解しているはずだった。予定通り阿波野先発を主張する権藤コーチに、仰木監督は首を縦に振らなかった。
当時のシリーズは全戦デーゲームで、携帯電話も普及していない。夜、仰木監督は権藤コーチを部屋に残したまま、外出してしまう。深夜、権藤コーチの部屋に仰木監督が電話を寄越し、「先発は明日決める」と告げたとき、声の向こうで酒場の女性らしき嬌声が聞こえたという。当時の仰木監督ならあり得る話だ。
結局、小野が先発した結果、第4戦は巨人が5―0と完勝。当時は取材可能だった東京ドームの一塁側ベンチ裏のサロンで、近藤ヘッドコーチが大喜びで叫んでいた。
「そら見ろ! ちゃんとやりゃあウチが勝つんだよ! 加藤哲ごときが、なぁにを言ってんだよ! あいつは己を知らなさ過ぎるよ! 自分の分際をわきまえろって言うんだよ! そうだろう!」
そこで、「そんなことを言って、次の第5戦で負けたらどうするんですか」と意地の悪い質問が飛ぶ。が、近藤ヘッドもさるもの、「すみませんでしたって言って帰るよ!」と頭を下げ、報道陣を爆笑させていた。















