野球殿堂博物館は13日に今年の殿堂入りメンバーを発表し、エキスパート表彰で元阪神のランディ・バース氏(68)が選ばれた。大阪を熱狂させた1985年の阪神日本一に大きく貢献し、2度の3冠王に輝いた「NPB史上最強助っ人」。そんなレジェンドの殿堂入りを記念し、「ランディ・バース伝説」を全3回でお届けする。
吉田義男監督の下で非凡な能力が開花
【ランディ・バース伝説#1】今も〝史上最強助っ人〟と称されるバースは甲子園を熱狂させたその破壊力ばかりが注目されがちだが、技術とセンス、投手のクセを見抜く洞察力も一級品だった。1982年オフに安藤統男監督率いる阪神が大砲としてレンジャーズ3Aから獲得。バットヘッドがなかなか出てこず、ボールを持ち上げる角度に大きな可能性を抱かせた。
アメリカで5球団を渡り歩き、場数を踏んでいたことで変化球にも対応できた。来日1年目の83年に35本塁打、84年は父親の不幸で離脱したことで打席数が減り、27本塁打。85年に就任した吉田義男監督は、結果さえ出してくれれば何も言わなかった。バース、掛布雅之、岡田彰布、真弓明信らに対して「好きなように打ちなさい」。おかげでセオリーに縛られない打撃ができるようになる。
元来の引っ張り打者だったが、逆方向への長打も出始めた。運動能力、プラス学習能力、対応力。投手のクセをベンチでまばたきせずに観察した。真っすぐの握り、カーブの握りを振りかぶった時に違いを判断し「完璧に分かる」とこぼすまでになった。受ける捕手のクセも覚え、同僚野手にも細かく情報を聞き、その知識を持って成績を上げていく。2年間を下地にして技術の引き出しを増やし、3年目に驚くべき数字をマークしていく。
85年4月17日、甲子園での巨人戦。若手ホープの槙原寛己の低め剛速球をバースがバックスクリーンに3ランし、掛布、岡田も続いた。〝伝説のバックスクリーン3連発〟は、長年続いた巨人へのコンプレックスを払拭すると同時に「これならいける」とチーム全体をその気にさせるに十分な衝撃だった。
優勝を決めた10月16日のヤクルト戦で52号。翌17日のヤクルト戦で53号、21日の中日戦で54号と、王貞治のホームラン日本記録(55本)にあと1本に迫った。ところが、残り2試合の巨人戦で6四球と勝負してもらえず、バースは「信じられない。こんなことを、もし米国でやったらそのチームは終わる。誰も試合を見に来なくなる。もし選手が王さんの記録を抜かれたくないと思うなら、勝負するのが普通だろ」と周囲に不満をもらしている。
そんな中で22日に先発した江川卓だけは違った。カーブもなしで全部直球。「打てるもんなら打ってみろ」の気迫で勝負にきた結果、2打数1安打1四球。対江川は通算打率2割2分9厘、3本塁打と苦しめられたが、日本の投手でもっとも印象深く、リスペクトもしていた。
86年に7試合連続本塁打の日本タイ記録(6月26日)を打った時も、江川は真ん中まっすぐで勝負してきた。リリース寸前までまっすぐかカーブかの見分けがつかない。引退後もバースは日本でのナンバーワン投手に江川の名を挙げている。














