ソフトバンクがFAで獲得した近藤健介外野手(29)の人的補償として、日本ハムから田中正義投手(28)を指名された。10日に相手球団から通知を受け、本人に通達。11日に正式に移籍が発表される見通しだ。

 2016年ドラフト会議で5球団競合の末、ホークスに入団。在籍6年間は相次ぐ故障に泣かされ、輝きを放てなかった。「プロ未勝利」「未完の大器」といった呼ばれ方を甘んじて受け入れ、前に進んできた心中は穏やかではなかったはずだ。

 鳴り物入りで常勝軍団の門を叩き、10年先までチームを下支えする戦力と見込まれていた。「申し訳ない」。そう何度も口にしてきた。「ドラフトの時、本当に入りたいと思っていた球団でした。だから、工藤監督(当時)がクジを引き当ててくださった時は、率直にうれしかったことを今でも覚えています」。

 相思相愛で結ばれていた。ソフトバンクには特別な背番号がある。それが「15」。現役時代の工藤公康前監督を慕い「炎の中継ぎエース」と呼ばれた藤井将雄さんが背負った番号だ。ダイエー初のリーグ優勝に貢献した翌年に肺がんのため31歳の若さで亡くなった野球人に敬意を表し、半永久欠番の扱いになって四半世紀近くがたつ。藤井さんと強固な師弟関係を築いた工藤前監督が引き当てた「未来のエース候補」。球団は、その特別な番号を入団交渉の席で田中正に提示したが、右腕はその番号をつけることをあえて選択しなかった。

 田中正なりの考えと受け止めがあって、今の25番を選んだ。

「球団やファンの方にとって、どれだけの番号かは理解していたつもりです。まだプロで何も成し遂げていない人間。少なくとも、自分がその番号をその時に背負う資格のある投手であるとは思わなかった。その番号を見た時に大きな期待を背負っていることを再認識して、もう一度つけてほしいと思ってもらえるくらいの投手にならなければいけないと思いました」

 入団後、自分自身への不甲斐なさに心が折れたこともあった。人知れない苦悩を乗り越え、グラウンドに戻ってきたこともあった。

 抱え込んだ「申し訳ない」思いを少しずつ返すため、新シーズンにかける思いは人一倍だった。昨秋には諸事情で実現には至らなかったが、ウインター・リーグ最強のドミニカに単独武者修行に出る計画だった。一昨年ごろから芽生えた自信を「結果」につなげるため、しびれる局面で自分を追い込む狙いがあった。昨春には最速156キロをマーク。課題だった変化球の精度は年々増し「先発一本」で勝負をかけるつもりだった。

 16年ドラフトで1位入札に加わった日本ハムに縁あって移る。優勝を公言する新庄ファイターズに「今の実力」を見定められ、心機一転の飛躍を期待されての移籍だ。今もトレーニングや体のケアのため、いくつもの施設をはしごする忙しい毎日を送っている。

「最近、自然と博多弁が出るようになったんですよ」。行きつけだった寿司屋の大将がこっそりおまけをしてくれることが、涙が出るほどうれしかった。歯を食いしばってファイティングポーズを崩さなかった姿を、博多っ子たちは知っている。生粋のソフトバンクファンなら、違うユニホームで輝く田中正にも万雷の拍手を送るはずだ。