10月1日に亡くなった“燃える闘魂”ことアントニオ猪木さん(享年79)が最も信頼を寄せ、右腕として頼りにしていたのが“世界の荒鷲”こと坂口征二新日本プロレス相談役である。

 日本プロレスから1973年に新日本に合流すると2人のタッグは“黄金コンビ”と呼ばれた。74年8月、新日本に初のタッグ王座(NWA認定北米タッグ)をもたらしたが、猪木のサポート役に徹した荒鷲は、猪木がNWFヘビー級王座を獲得した後も挑戦することはなく、自らは北米ヘビー級王座の防衛戦に徹した。

 2人の直接対決はファン待望の黄金カードだった。初めてのシングル戦は74年4月26日広島の第1回ワールドリーグ戦決勝リーグ公式戦(30分1本勝負)で実現した。

 猪木は同年3月19日にストロング小林と“昭和の巌流島”と呼ばれた歴史に残る大激闘を展開。プロレスファンの間では、日本人同士の対決を期待する機運が高まっていた最中の一騎打ちだけに、日本中の注目を集めた。本紙はこの試合を1面と中面で詳細を報じているが、1面は「猪木・坂口 時間切れ」の大見出しと写真が大きく3枚掲載され、原稿はわずか30行程度のみ(中面で詳細特集)。つまり写真だけでシンプルに試合のすごさが伝わる激闘だった。

「運命とはいえ、非情な男の世界。昨年10月に鉄人テーズ、神様ゴッチを迎え撃った黄金コンビが雌雄を決する。猪木、坂口より緊張していたのはファンのほうだろう。どちらも勝たせてやりたい。それがファンの願望だ。いきなりヘッドロックに出てきた猪木を坂口はロープに飛ばしてタックル。場外では猪木の額をエプロンに叩きつけ、パンチを繰り出す。坂口は快調に首投げ、スリーパー、フルネルソン、豪快なアトミックドロップを浴びせる。猪木が出たのは15分過ぎ。インディアンデスロック、リバースデスロックと足殺しに出る。しかし猪木のコブラツイストを坂口は背負い投げ一閃。いとも簡単に崩した。猪木がバックドロップを狙うが坂口も熟知して腰を落とすも、一瞬のスキが生じた。出た! テーズ直伝のバックドロップ。しかし坂口は無類のスタミナでグラウンドで猪木を苦しめる。あと3分。猪木が足4の字固めを決める。坂口ギブアップか。直後に試合終了のゴングが鳴り響いた。長い長い死闘にファンはいつまでも席を立とうとはしなかった」(抜粋)

 本紙は「小林戦とは違った緊迫感に満ちた激闘だった。坂口はこれで猪木と横一線に並んだ」と評している。まさに名勝負だった。そして再戦のチャンスはすぐに訪れた。決勝リーグ戦で同点で並んだ猪木、坂口、キラー・カール・クラップの3選手が、5月8日東京都体育館で優勝決定巴戦を行ったのだ。

 まず坂口がクラップに反則勝ち。しかし凶器攻撃で大流血となってしまう。それでも猪木戦初勝利と初優勝に燃える坂口は先手、先手をとって攻勢。試合を有利に進めていたが、猪木の足4の字固めに捕獲されると場外へ。ここでクラップがまた乱入して坂口を凶器で襲撃。あまりの大流血に坂口は無念のドクターストップがかかってしまった。その後は猪木がクラップを弓矢固めに仕留めて、初優勝を決めた。「猪木さんとやらせろ!」と不運の坂口は絶叫したが、裁定は覆らなかった。

 本紙が「猪木と坂口で優勝大トロフィーを分け合ってもよかったのではないか」と評するほどの接近した内容だった。この後、両雄は主にリーグ戦で10回のシングル戦を行うが、猪木の6勝1敗2分け1没収試合に終わている。 

 坂口が初勝利を挙げたのは、初対決から実に12年目の86年5月30日広島のIWGPリーグ戦Aリーグ公式戦。坂口のアトミックドロップが、トップロープを直撃して猪木が場外転落。不完全燃焼のリングアウト勝ちとなり、両雄にとってはこれが最後のシングル戦に。しかし全盛期の坂口は本当に強かった。トップの猪木をしっかり支える荒鷲がいたからこそ、新日本は黄金時代を築き上げられたと言ってもいい。 (敬称略)