10月1日に死去した“燃える闘魂”アントニオ猪木さん(享年79)は、1970年代に異種格闘技戦に積極的に打って出て、現在の総合格闘技の礎を築いた。
78年11月7日から11月29日までは「欧州世界選手権シリーズ」にキラー・イノキ」として実に23日間、5か国で全20戦(21戦の説もあり)とエキシビション1試合を戦い抜いた。最も有名なのは25日西ドイツで“地獄の墓掘人”ことローラン・ボックに判定負けを喫した一戦だろう。“シュツットガルトの惨劇”と呼ばれ、シリーズ唯一の敗戦となった(12勝1敗7分け)。
ボックとは3戦(1反則勝ち1敗1分け)を行ったが、実は他にも連戦に臨んだ選手が存在した。1人は“柔道王”ことウィリエム・ルスカだ。ルスカとは76年2月に日本武道館で名勝負を展開しているが、実にこのツアーで5連戦(猪木の3勝2分け)を行った。ルスカは欧州で英雄的存在だったため、連戦が組まれたのも当然だが、もう1人、猪木と5連戦に臨んだ“未知の強豪”が存在した。スイスの英雄で“欧州の鉄人”と呼ばれたジャック・ラサルテーズ(本紙表記)である。
ラサルテーズは欧州で活躍し50年代にはNWAにも参戦してニューヨークのMS・Gにも登場。60年代からは欧州でトップヒールとなった。70年に国際プロレスに一度だけ来日したのみだったが、実力は本物で、プロモーターだったボックの信頼も厚く、人気も群を抜いていたため異例の5連戦が組まれたとされる。
初戦(4分10R)は11月10日西ドイツ・ハンブルク。猪木とは初対決で、本紙はこの一戦の詳細を報じている。
「西ドイツ最大の商港ハンブルク。猪木対“欧州の鉄人”ラサルテーズはさながら波止場の決闘となった。ボックと並ぶ欧州マットの第一人者で国際プロレスに来日の経験がある。タックルを狙う猪木。ラサルテーズは長いコンバスを利用してニーパット、ニードロップなどのヒザで突進をはばむ。猪木が空手チョップを放てば、怒りのキックが飛んでくる。中盤5R、猪木のエンジンがかかった。空手チョップ、ボディースラム。6Rにはきれいに回し蹴りが後頭部にヒット。猪木には大ブーイングだ。形相を変えた猪木は必殺のバックドロップ2発。ラサルテーズも目潰しで反撃。9Rにはアリキック、ラサルテーズは鼻から出血。最終ラウンド、両者はもつれるとパンチ、チョップの打ち合いで無念のゴングが鳴った。判定は引き分け。どう見ても猪木の判定勝ちだったが、やはりホームタウンデシジョンに引っかかった。猛抗議する猪木。急きょ11日ハノーバーでの再戦が決まった」(抜粋)
これが遠征4戦目の猪木にとって初のドローだった。「欧州のテーズに岩石決まらず」の大見出しが立っている。さっそく翌日に再戦が行われ、猪木が逆腕固めで5Rに勝利している。
両雄はその後も対戦を続け、11月13日西ドイツ・カッセルでは4Rに体固めで猪木が勝利。11月19日にはスイスで猪木が4Rに反則勝ちを収めた。この日、猪木は午後3時からの試合を終えると国境を越えてオーストリア・ウィーンで現地時間午後9時からオイゲン・ウィスバーガーと対戦。超人的な活躍を見せ、4Rに反則勝ちを収めた。
5戦目となった11月20日西ドイツ・ザールブルッケンでは猪木が4Rに必殺のバックドロップ一撃でKO。完璧な3カウントを奪っている。連戦中は「欧州で最も汚い王者だ」と否定的だったが、最終戦を終えると「ダーティーだったが、いい選手だった」と認めている。結局、ラサルテーズとは4勝1分けに終わった。欧州の鉄人はその後も本拠地を離れることはなく、スイスの英雄として現役をまっとうした。数多くの超一流レスラーと数えきれないほどの名勝負を残した猪木だが、ラサルテーズのように歴史に埋没した“無名の強豪”とも名勝負を展開していた事実は、やはり“燃える闘魂”の偉大さを物語っている。 (敬称略)












