【プロレス蔵出し写真館】交通警察官に、なにやら手渡そうとしている怪しげな男(写真)。悪徳マネジャーとしてブレークし、レコードまで発売した将軍KYワカマツこと若松市政だ。
若松は段ボールに貼り付けた国際プロレスの大会ポスターを抱え、宣伝ビラの受け取りを強要(?)。困惑気味の警官は、当然、拒否した。
これは、今から42年前の1980年(昭和55年)3月23日、国プロの所属レスラーが8日後の31日、後楽園ホールで行われる4大決戦に向けて一大キャンペーンを決行したときのひとコマ。
前日に降った雪がウソのように晴天となったこの日、銀座の歩行者天国をラッシャー木村を筆頭に大木金太郎、アニマル浜口、マイティ井上、阿修羅原、デビル紫、マッハ隼人、高杉正彦、菅原伸義(アポロ菅原)、冬木弘道(サムソン冬木)、そして若松が大行進。行楽客でごった返す中、道行く人にビラを配りまくったあとは、日本橋の東急百貨店に向いチャリティーサイン会に臨んだ。
31日の4大決戦とは、ニック・ボックウインクルに大木が挑戦するAWA世界ヘビー級、木村がジョニー・パワーズを挑戦者に迎えてIWA世界ヘビー級、阿修羅は剛竜馬を相手にWWU世界ジュニアヘビー級、そして浜口&井上組は新日本プロレスの木村健吾(後の健悟)、永源遙組の挑戦を受けるIWA世界タッグ選手権。23日の宣伝効果か、会場はほぼ満員になった。
さて、若松といえば翌81年に国プロが崩壊し、10月8日に蔵前国技館で新日本VS国際の対抗戦が開戦されると木村、浜口、寺西をセコンドとしてサポート。アントニオ猪木に反則勝ちで勝利した木村を、控室で応援団とともに祝福する姿があった。
それから3年後の84年8月24日、後楽園ホールに目出し帽をかぶった謎の怪覆面男(のちにストロング・マシーンと名前を発表)と若松が現れテレビ解説席の猪木を挑発した。最終的に「マシン軍団」は1号から4号まで増殖し、若松はその憎めないキャラで〝プチ〟人気を博した。
ところで、マシン軍団の4人はおおよそ似たような体格で、取材で顔見知りだった2号(力抜山)と思って声をかけると、実は4号(ラトウ・アティサノエ)で威カクされるという苦い思い出もあった。しかし、このマシン軍団の存在は大量離脱で窮地だった新日本を救った。
若松はタッグながら猪木とも対戦(86年5月1日、両国国技館でアンドレ・ザ・ジャイアントと組み猪木&上田馬之助組)して、国プロでリング設営の資材部だった〝地味〟な男は華々しいスポットライトを浴びた。
若松は、SWSを経てインディー団体に参戦してからも宇宙パワーを率いてマネジャーとして活躍。
今年の8月11日には神奈川・保土ヶ谷で行われた湘南プロレスに参戦。芦別市議会議員として活動する傍ら、現役としてリングに上がった。
まだまだ元気なところを披露した若松は現在80歳。いまだ現役なのも驚きだが、この写真を撮られた38歳当時と、容姿にほぼ変化がないことには驚かされる。なにか秘訣はあるのだろうか。
そのヒントはアポロ菅原のユーチューブチャンネルにあった。菅原は、「先日、スペル・デルフィンがゲストで来てくれて、若松さんの話が出ました。若松さんに『これを飲めば君は100メートル走を7秒で走れるよ』そう言われて宇宙水を売りつけられたって。デルフィンは『買うのやめました。飲んだら(自分が)怖くなるなと思って』。丁重に断わったみたいだね」。笑ってそう明かしてくれた。
若松の元気の源は宇宙水だったのか…(敬称略)。














