プロレス界のスーパースターで〝燃える闘魂〟ことアントニオ猪木さん(享年79)が1日に死去してから、3週間が過ぎた。プロレス・格闘技界の衝撃は大きく悲しみに包まれたままだが、先週末の22日に都内で「アントニオ猪木さん追悼講演会」が行われた。

 主宰は元テレビ朝日アナウンサーの舟橋慶一氏。「燃える闘魂」の名づけ親で、猪木―モハメド・アリ戦を実況したことで知られる伝説のプロレス実況アナだ。舟橋氏は14日の告別式に参列。猪木さんに最後の別れを告げてきた。

 講演会では、全国から集まった〝猪木信者〟を前に、1969年にNET(現テレビ朝日)が日本プロレスの放送をスタートさせた当時から振り返り、猪木さんにまつわるエピソードの数々を披露した。

 中でも印象的だったのは、71年12月にあった日本プロレスからの〝猪木追放事件〟についてだ。猪木さんはトラブルの中でも「最後まできっちり試合をしていた。うち(NET)の放送(できるタイトル戦)はUNとアジアタッグしかないなというのを、よくわかっていた。本当にあの方は、ファンを大事にした。だから(ファンに伝える側の)放送局も大事にした。今、思うと涙が出る。猪木さんは常にファンを大事にしていましたね」と静かに語った。

 71年3月に猪木さんは米ロサンゼルスでジョン・トロスからUNヘビー級王座を奪取。翌日に、猪木さんと2人目の妻となる女優の倍賞美津子から「アナハイムのディズニーランドに行こうよ」と誘われたという。3人で遊びに行ったものの、2人は帰国後に婚約を発表。舟橋氏は「私は完全にお邪魔虫でした」と笑いを誘った。

 最後に猪木さんの「優しさ」を表すとっておきのエピソードを公開。日プロ時代の末期、猪木さんは巡業地に泊まらず、そのまま帰京することが多かった。長崎大会の翌日、舟橋氏は東京で菅原文太の映画「トラック野郎」関連で仕事が入り、緊急帰京を命じられた。その時点では交通手段がなかったが、猪木さんは「舟さん、寝台車を取っているから一緒に乗っちゃおうよ。入場券でいいから」と、長崎から航空機のある博多までの寝台列車の一室で同乗させてもらったという。

「普通だったら、そんなことは言わない。あの大きい体で、僕のベッドの隣で横になっていた」と舟橋氏は、英雄の死をいたんだ。