来年2月に引退を控える〝プロレスリングマスター〟こと武藤敬司(59)が、1日に亡くなった〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)への思いを語った。1984年に新日本プロレスに入門。猪木さんの意志を継ぐ「闘魂三銃士」の一角として期待され、時には組み、時には対角に立ち、団体を飛び出してからは外からその存在を感じてきた。武藤は師匠をどう見てきたのか。若手時代のまさかのエピソードも交えつつ、燃える闘魂をしのんだ。
師匠の死を受けて「いつまでたっても〝闘い〟というものを表現していたよな…」とつぶやく。晩年、猪木さんは自身のユーチューブチャンネルで闘病する様子を公開。8月には日本テレビ系夏の恒例特番「24時間テレビ」にも出演し話題になったが「変な話、車いすの姿は弟子として『本当は見たくない』っていうのもあったけど、あれで〝闘っている姿〟を常に見せていたと思うよ」と続ける。さらに「(ジャイアント)馬場さんと力道山だけでは、プロレス界って残っていなかった気がするよ。猪木さんがいたからこそだ。猪木さんにかぶれてプロレス業界に入った人って多いんだよ」と改めてその存在の大きさを強調した。
21歳で新日本の門を叩き、デビュー前から猪木さんとのスパーリングで互角に渡り合うなど早々に〝道場伝説〟を残した。猪木さんからも期待され、海外遠征から一時帰国した87年には若手から唯一「ナウリーダー」の一員として抜てきされ、同じコーナーに立った。さらに94年5月に行われた猪木さんの引退ロード第1弾には化身のグレート・ムタが対角に立ち、その顔面を毒霧で緑に染め上げて話題になった。
そんな師匠とは2002年から一定の距離を取ることになる。この年、武藤は古巣を飛び出して全日本プロレスに移籍、社長に就任した。武藤は「俺が『やっぱり猪木さんが師匠なんだ』ってわかったのは全日本に行ってから」と距離を取ったことでその影響を痛感した。
「当時は馬場さん亡き後の全日本だったけど、漂ってくる匂いというかスタイルはやっぱり『王道』だった。やっぱり保守的だったもん。決してそれが悪いんじゃない。外国と付き合うのもNWAとかAWAとかちゃんとした組織と付き合って(リック)フレアーとかハーリー・レイスとか、本当の大物を招き入れたから」と力説した。
その上で「一方で猪木さんは王道じゃないからさ。逆にタイガー・ジェット・シンとかをつくったわけじゃん。あとは企画だよね。異種格闘技という〝発想〟で勝負したり。ハプニングが好きなんだ。たぶん俺も同じような血が流れてるよ。『型にはめない』っていうね。だから俺も、全日本に行った時はいろいろそういうことをやったわけだ」。自身にも〝遺伝子〟は受け継がれている。
その後、紆余曲折を経て20年2月に自身が主催する「プロレスリング・マスターズ」に猪木さんを招き闘魂ビンタを受けた。「やっぱり猪木さんを上げたいっていう野心はずっとあって。それであいさつに行って、すぐに(登場の)OKはもらったんだよ」。だが「その後1~2時間、プラズマの話を延々とされていて…。いつまでも夢を追いかけている人だなって思った」と猪木さんが晩年、世界のゴミ問題を解決するべく水プラズマに注力していたことを思い出し、目を細めた。
最後に師匠との思い出を問われ「いっぱいあるけど…」と天を仰ぐ。「一番はやっぱり…」と切り出したのは、新弟子時代の意外な出来事だった。道場に練習に訪れた猪木さんから「武藤、タクシー代がないから1万円貸してくれ」と頼まれ、帰りの交通費を渡した。「当時の俺はデビューするか、しないかだから1万円はとんでもねえよ。まだ(月に)4~5万くらいしか、もらってなかったんだから。結局、あの1万円は返してもらえなかったよ。金利をつけたら200万以上だな…」と寂しそうに笑った。
自身は来年2月21日の東京ドーム大会で引退試合に臨む。現役として残り5か月、猪木さんからの教えと思い出を胸に引退ロードを走破する決意だ。












