米WWEのスーパースター・中邑真輔(42)が、1日に亡くなった〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)の教えを受け継ぐ。2002年の新日本プロレス入門から猪木さんに師事し、総合格闘技でも実績を残すなど伝統の「ストロングスタイル」を体現し続けた。その闘魂は、猪木さんも10年に殿堂入りを果たした世界最高峰の舞台で燃え続けている。

 新日本時代の〝猪木最後の弟子〟は若手時代、総合格闘技でも結果を残しプロレスラーの強さを証明した。現在も「キング・オブ・ストロングスタイル」の異名を取り、世界を股にかけて活躍している。

 本紙の取材に応じた中邑は「長らくコンタクトを取ってなかったんですけど、(元新日本社長の)サイモン(ケリー)さんを通じて『よろしく言ってたよ』というのは聞いていたので。すごく寂しいのと同時に、時代の転換期を感じるなと思いますね」と故人をしのんだ。

 デビュー直後から米LA道場に武者修行し、猪木さんの指導を受けた。「右も左も分からないころにつながりができて、プロレスラーとしての人生を導いてくれた。僕みたいにこんなに特異なプロレス人生を送った人間は他にいないと思いますが、やっぱりその道を一歩踏み出させてくれたのはアントニオ猪木、その人だったなと思います」と感謝を口にする。

 一番の思い出は「鉄拳制裁ですね」と苦笑する。2004年11月13日大阪ドーム(現京セラドーム大阪)大会のタッグ戦で藤田和之に敗れた試合後のリングで、タオルが巻かれた猪木さんの右拳が顔面に飛んできた。

 当時は師弟間に溝を生んだ事件だったが「大きな謎かけをしてはどう育つか、どう立て直すか。子供を崖から突き落とす獅子のように、自分もそのように育てられたんだろうなと思ってます」と受けとめている。

 09年9月にIWGPヘビー級王座を獲得した時には当時、新日本と絶縁状態にあった猪木さんの名前を叫び〝対戦〟を呼びかけた。タブーを破った行動は中邑の思う成果に結びつかなかったが、団体が目を背けていた創設者の存在にあえて立ち向かった。

「ものすごく各方面に迷惑をかけましたけど、猪木さんほどではなかったかな(笑い)。まだ、たった20年のプロレス人生ですけど、自分の物語の中にアントニオ猪木というものを刻めたのは誇りに思っていいのかなと思います」

 くしくも中邑は現在、猪木さんが10年に殿堂入りを果たしたWWEで「ストロングスタイル」を体現している。「人それぞれだと思うんです、ストロングスタイルに何を見いだすのか。猪木さんの場合は力道山先生から受け継いだ『怒り』。自分の場合は『怒り』も含め、自分自身すべての表現方法としてレスリングに落とし込むものだと思いますけど、やっぱり猪木さんの影響はすごく大きいですね」と持論を展開した。

 多くの弟子に伝承された闘魂は、もちろん中邑の胸のなかに生き続けている。「やっぱり道をつくるなり、その精神というのは受け継いでいるつもりではありますし。偉大な…なんて言うんだろう。ひと言で形容できない『燃える闘魂』ですから。猪木さんから何を受け継いできたのかハッキリ明言することはできませんが、それは自分が絶えず前に進んでいくしかないってことだろうなとは思っています」

 猪木さんが残したものは、これからも世界中のプロレスシーンで脈々と受け継がれる。