【赤坂英一 赤ペン!!】「僕、サッカーをやろうと思った時期もあったんですよ、マジで」

 糸井嘉男が突然こんなことを言い出したのは、日本ハム時代の2012年オフ、鎌ケ谷の勇翔寮でインタビューした時のことだ。拙著『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)の取材で、投手から野手へ転向した苦労話などを聞いていると、糸井がこう切り出した。

「野球は小学5年から本格的に始めたんですが、小学6年になった年(1993年)にJリーグが始まったでしょう。アレで一緒に野球をやってた友だちがみんなサッカーに流れて、僕もそっちに引き込まれたんです」

 当時、かけっこでは常に一番。身体能力がずばぬけていた糸井は、またたく間に仲間内でエースストライカーになった。

「相手をかわして、シュートを打って、ゴールを決めるじゃないですか。それが快感でしたねえ」

 野球はもともと、父親に教えられて始めたものだ。が、それに引き換え、サッカーは友だち同士での盛り上がりがきっかけである。すっかり夢中になった糸井は勢い込んで「中学行ったらサッカーやるわ」と父親に言った。

 しかし、父親は「野球をやれ」と譲らず。この時の落胆の大きさを、糸井はこう振り返った。

「中学校に入ってからは泣きながら野球をやってました。泣きながら野球部に入って、泣きながら練習をしてたんです」

 こう話している最中、糸井は本当に悲しそうな顔をしていた。そうしたピュアな部分が、スター選手となってから「天然」と言われ、笑いの対象になったことも多い。糸井はそれが不愉快だったと、こう吐露している。

「笑わせようとしてないのに笑われると、なんでなのかなと思いますよ。テレビカメラを構えてる人が〝アホなこと言えオーラ〟を出してるのもわかるんですからね」

 そんな糸井に、つきっきりで打撃指導した大村巌コーチは、こう優しくアドバイスしていた。

「バカだと思ってるやつには、バカだと思わせておけ。今のキャラのままでいけばいい。そういうところが多くのファンに愛されてるんだから」

 このインタビューをした12年オフは、ちょうど大谷翔平の日本ハム入団が決まった直後だった。糸井はこう言っている。

「(投打の)両方できるのはうらやましいです。僕だってやりたかった。早くキャンプで大谷くんを見てみたいですね」

 糸井が突然オリックスへトレードされたのは、それから間もなくのことだった。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。日本文藝家協会会員。最近、Yahoo!ニュース公式コメンテーターに就任。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」(講談社)など著作が電子書籍で発売中。「失われた甲子園」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。他に「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。