プロ転向を表明したフィギュアスケート男子の羽生結弦は、19日の記者会見で「引退」という言葉があまり好きではないと明かした。競技の第一線から離れるにあたって、「引退」としなかったアスリートは過去にもいた。

 テニスの松岡修造はその一人。1995年のウィンブルドンでベスト8など数々の偉業を遂げ、98年にトーナメントのコートを去った。当時の記者会見では「これは引退会見ではない」「第一線から卒業するのです。引退ではありません」との趣旨の話をしている。

 公式サイトでも、「98年4月のジャパンオープンを最後にプロツアーを卒業。同時にジュニアの育成とテニス界の発展の為にテニス活性化プロジェクト『修造チャレンジ』を設立」とプロフィル欄に記されている。

 陸上男子400メートルで91年世界選手権東京大会、翌年のバルセロナ五輪でファイナリストになる快挙を達成した高野進は96年に区切りをつけた。「引退」ではなく、「生まれ変わり」などを意味する「Reborn(リボーン)」という言葉で状況を語った。高野氏を紹介するスポーツ関係の団体などのウェブサイトを見ても、プロフィルに「引退」に関する記述がない。

 前述の「修造チャレンジ」からは世界トップクラスに羽ばたいた錦織圭らが育った。高野氏も含めて、現役選手でなくなることは、新たなステージへの「卒業」「生まれ変わり」であるという思いが強いのだろう。

「引退」の2文字にはさまざまな意味合いが込められる。かつて大相撲では、相撲協会に残る力士に「引退」が使われ、それ以外は「廃業」とされた。現在は協会残留とは関係なしに「引退」で統一されている。親方がやめる場合は退職だが、元横綱の貴乃花親方は18年、「引退届」を提出してその言葉遣いが物議を醸した。

 水泳やスケートのように選手が引退届を出すのが慣例の競技団体もあれば、そうでない団体も。平成以降、競技者を「アスリート」と呼ぶ傾向が強まり、軌を一にするかのように「引退」の言葉に違和感を覚える選手も増えてきたのか…。