【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(20)】趣味は…競馬でしたね。僕はそんなお酒も飲まないし、ギャンブルくらい。最初は吉井理人さんに教えてもらって、PAT(電話投票の加入権)を申し込んでもなかなか当たらなくてね。やっと抽選で当たって機械が送られてきて、ハマりました。予想するのが楽しくて、当たったらうれしいし、それで飯に行こうとかはない。それはそれ。毎週、野球をやりながら楽しみを持っていました。
馬連なら1000円ずつで6点、3連単なら10点くらい。これと思ったらいくけど、だいたいちょこちょこ…。高配当を狙って500円勝って300倍ついたとか、5万円勝って20倍ついて100万円になったとかが、最高かなあ。ふだんはむちゃな買い方はしなかったですね。一番突っ込んだのは…2001年の有馬記念でテイエムオペラオーとメイショウドトウ。絶対来ると言うんで、これしかない、と思って80万円、馬連を1点買いしたら外れたっす(笑い)。
その日は100万円持って行ってたんで最終レースに10万をつぎこんだら10倍ついて、ほぼ勝ち負けなしで帰りました。まあ、通算の収支は相当なマイナスですよ。年俸は何千万ももらっていたけど、競馬に使うおカネはちゃんと決めて管理してやってました。年俸1億なら毎月400万円くらい入ってくるんで、300万は家賃とか飲食に置いて、100万をギャンブルというふうにね。
ボートレースも30歳くらいまでは月曜日の練習後とかに住之江に行ってました。競馬と違って現場に行くしかないので12月のSGの時は貴賓室みたいな部屋を取ってもらってね。
先発になった時「10勝するまで競馬はやらない」と決めた時もありました。今季は競馬をしないぞって自分に言い聞かせたんだけど、途中でケガしたんでやめました(笑い)。暇になったらやるでしょ。
レースが気になって試合で投げている最中、イニングの間にロッカーやトレーナー室で見てたこともあります。チームの中では僕が一番好きだったかなあ。ブルペンでラジオ中継を聞いたこともあるし、コーチにはバレていたかもしれない…。でもプロなんでしっかりゲームで投げればいいだろう。やることやれば文句はないだろうって感じで。遠征で門限を破っても、グラウンドでしっかりやってくれればいいよっていう空気が、当時の近鉄にはありました。
ただ、鈴木啓示監督の時はやっぱ厳しくて、野茂さんたちが数人で朝帰りした時に梨田昌孝コーチに見つかった。その日は移動休みの日で、朝に早く帰阪する人もいたんでしょう。「門限破りだ」ってなって、野茂さん以外は二軍に落とされたんです。野茂さんからしたらそういうのも嫌だったんじゃないですかね。梨田さんも立場的に仕方なかったのかもしれません。仰木彬監督なら街中で会っても「早く帰れよ。明日しっかりやれよ!」って言ってくれますけどね。
☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。












