さらば鬼神――。FMWやIWAジャパンなどでデスマッチファイターとして活躍したターザン後藤さん(本名・後藤政二)が29日に58歳で死去していたことがわかり、プロレス界は悲しみに包まれた。リング上では異名通りの厳しさで知られた後藤さんだったが、素顔は温厚で誰からも愛された。1989年のFMW旗揚げから宿命のライバルだった邪道・大仁田厚(64)と、盟友のミスター雁之助さん(53)が早すぎる死を悼んだ。


 雁之助さんによると、30日の夕方に関係者を通じて後藤さんの訃報が伝えられたという。遺族から関係者には、すでに通夜と告別式の日程が伝えられている。

 大仁田は「ショックであまりしゃべれないんですけど。ターザンが亡くなったなんて信じられない気持ちでいっぱい」と声を落とすと、雁之助さんは「いまだに信じられないし、実感が湧かない。後藤さんに厳しく教えてもらったおかげで、長年できたことは財産です。感謝しかありません」と沈痛な声で語った。

 後藤さんは静岡・島田市出身で、大相撲から全日本プロレス入り。1981年2月の越中詩郎戦でデビューした。海外遠征を経て、89年に大仁田が旗揚げしたFMWに参戦。「鬼神」と呼ばれ、デスマッチファイターとして名を上げた。大仁田とは「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」で死闘を繰り広げ、90年には東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞「年間最高試合賞」を獲得した。

 だが、95年に大仁田の2度目の引退試合が控える中でFMWを離脱。その後はIWAジャパンに移籍して活躍し「新宿2丁目劇場」でもコアな人気を博した。自身で東京・台東区に「浅草インディーズアリーナ」を設立し試合を開催するなどインディ団体の発展に尽力。近年はラーメン店で働くなどしていたが、関係者によると肝臓がんを患っていたという。

 雁之助さんは生前の後藤さんを「プロレスに関しては厳しく、一切甘い顔をしなかった」と振り返る。FMW時代には道場に到着した後藤さんが階段を上る音が聞こえると、若手選手は震え上がったという。第1試合で雁之助さんがドロップキックを使った際には「若手の分際で大技を使いやがって!」と激怒されたこともあった。

 一方、たもとを分かった大仁田は「いろいろあったけど、今の俺があるのはターザンがいたからこそ」と語る。2017年10月の7度目の引退試合では当初、対戦相手に考えていたのが後藤さんだった。そこで後藤さんが働く東京・押上の「太楼ラーメン」を訪れたが、運悪く不在。大仁田は「会うこともできなかったのは悔やまれる」とと静かに口にした。

 31日の「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」(東京・後楽園ホール)では後藤さんを追悼する予定。「鬼神」の文字が入ったイエローのコスチュームで暴れ回った雄姿は、永遠にファンの記憶に刻まれる。


 ☆たーざん・ごとう 1963年8月16日生まれ。静岡・島田市出身。中学卒業後の79年に大相撲の九重部屋に入門も、翌年で廃業。81年2月19日、全日本プロレス福島大会の越中詩郎戦でデビューした。83年度のプロレス大賞「新人賞」を受賞。89年のFMW移籍後、92年1月にはWFDA世界マーシャルアーツ王座を獲得。90年8月の大仁田との電流爆破マッチ、94年3月の天龍源一郎とのタッグ対決で「年間最高試合賞」を受賞。95年8月にはIWA世界ヘビー級王座を戴冠した。178センチ、125キロ。