異業種で輝く元プロ野球選手
【藤田宗一(元ロッテ投手)】テレビ局や大手企業の本社がひしめく東京・赤坂。飲食街は昼夜を問わずにぎわいを見せ、路地裏には行列のできる繁盛店も多い。そんな激戦区の一角で、和牛ホルモン専門店を営む元プロ野球選手がいる。救援一筋の投手としてロッテ、巨人などで活躍した藤田宗一さん(44)である。
西濃運輸から1997年のドラフト3位でロッテ入り。プロ1年目から中継ぎとして結果を残し、2000年には最多ホールドを獲得。05年には薮田安彦、小林雅英とともにチーム勝利の方程式「YFK」の一角を担い日本一にも貢献した。そんな「ミスターリリーフ」が畑違いの飲食業に足を踏み入れたのは独立リーグ・群馬時代の12年3月だった。
「当時はまだ選手兼コーチだったのですが、開幕直前に右ふくらはぎを痛めましてね。このころから引退後のことを考え、『何かしないと』という思いが強くなりました。そこで、以前から料理が好きだったこともあり、知人の紹介で肉の卸会社で修業させてもらうことにしたのです」
現役を続けながらの修業は過酷を極めた。午前9時30分ごろから午後3時過ぎまで練習。疲れた体を休める間もなく重労働に追われる日々が続いた。
「肉の部位を覚えたり切り方を教わる修業とはいえ、やることはやはり肉を切ることが中心で。群馬のブランド豚『愛豚(まなぶた)』を主に扱っていましたが、1回で豚8頭~10頭分、1日何十キロという肉を必死に切っていくのです。包丁片手に野球では使わない筋肉を酷使するので腱鞘炎になったこともしばしば。毎日ではなかったとはいえ…つらかったですね」
現役引退後の13年4月末、念願の店をオープンさせても苦悩は続いた。一人で切り盛りする店舗経営は全くの素人。営業や宣伝も行わなかったため、店に来るのはわずかな知り合いだけ。赤字の日々が1年近く続いた。
「元野球選手がやっているお店というより、飲食業をやる以上はやはり味で勝負がしたかった。テレビの取材なども全て断ったので、仕方がない面もありました。それでも、自分としては開店直後にミスをしたら、お客さんは二度と食べに来てくれないと思ってましたから。とにかくおいしくて手頃な料理を提供し続けよう、と」
飲食業への真摯な姿勢は徐々に結果を生む。14年ごろから味の評判を聞きつけた球界関係者らが続々と来店。赤坂かいわいでも名が売れ始めた結果、オープンから3年半たった今では経営も軌道に乗り、常連客らが連日舌鼓を打つ。
「飲食業は食材の高騰などもあり経営は本当に難しい。でも、赤字を出さないよう、皆さんに喜んでもらえる店を作り続けたい。そのうえで近い将来、もう一度プロのユニホームを着たい。もちろん、指導者として」
一昨年からは少年野球チーム「吉川美南ボーイズ」を立ち上げ、休日を利用して指導にあたっている藤田さん。野球人としての魂は異業種で輝いても消えうせることはない。
☆ふじた・そういち 1972年生まれ。京都府出身。島原中央高、西濃運輸を経て97年のドラフト3位でロッテ入団。2000年に最多ホールド獲得。06年第1回WBC日本代表に選出。07年オフに巨人に移籍。11年ソフトバンクでのプレー後、12年から群馬ダイヤモンドペガサスで選手兼コーチ。同年に現役引退。13年に東京・赤坂に焼きゅう豚「繁」開店。昨年11月に和牛ホルモン専門店「宗一」に店名を変え現在に至る。NPB通算成績は600試合19勝21敗8セーブ、防御率3.89。左投げ左打ち。












