【ダンプ松本の壮絶人生「極悪と呼ばれて」(13)】プロレスには未練もあった。レスラー仲間とも別れたくはなかった。だが(松永)高司さん(全日本女子プロレス会長=故人)以外の会社の人間が、嫌で嫌で仕方がなくなっていた。もうこんな場所にはいられない。1987年夏から私は引退を考えていた。ブームが下り坂になる前に派手に辞めたかったからだ。

 水面下では芸能事務所に移籍する話も進めながら、会社に無断で88年1月4日、後楽園大会終了後、記者を前に引退を表明した。さすがに誰もが驚いてたな。同期の大森ゆかりも歩調を合わせて、その10日後に引退を発表したので、2月25日の川崎市体育館で2人の引退記念大会が行われることになった。

 実はこの時、ライオネス飛鳥も一緒に引退してトリオで芸能界へ進出する計画だった。でも飛鳥が「ゴメンね。私、まだ赤いベルト(WWWA世界シングル王座)を巻いていないから引退できない…」と泣いて謝ってきた。レスラーとしてその気持ちも理解できたから仕方ないなあと。彼女はこの年の夏にチャンピオンになったし、結果的には良かったと思う。

 引退大会は大森とのコンビでクラッシュギャルズと対戦した。他人が主役の舞台でも、長与千種は長与千種だった。とにかく自分が一番光っていたかったんだろう。

 おそらく千種が「ダンプと最後に5分間だけ組みたい」と申し出たと思うんだけど、会社側から「ファンが見たがっているから」とコンビ結成を説得された。結局は私が試合後にアピールする格好で、5分間のダンプ、長与組対大森、飛鳥組戦が実現した。そりゃあ超満員の場内はドッカーンと大爆発だよ。でも飛鳥は号泣してるし、大森は大流血で場外に倒れてるし、もう大変だった。

 不思議なことに全試合終了後、3本のロープのうち一番上のロープがプツンと切れたんだ。「ああ、これは本当にもう辞めなさいというプロレスの神様からのお告げなんだ」と解釈した。大森と並んでテンカウントゴングを聞いたけど、肩の荷が下りたように笑顔で聞くことができた。

 そして3日後の2月28日、地元の埼玉・熊谷市体育館でラストマッチを行う。最後だけは自分で相手を選んでよかったので、私は極悪同盟の愛弟子、ブル中野とコンドル斉藤との1対2変則マッチを志願した。リング上からはクラッシュのファンに「今までチーちゃん(長与)と智ちゃん(飛鳥)をイジメてすいませんでした」と、ガラにもなく泣きながら最初で最後の謝罪までしたぜ(笑い)。

 これで思い残すことなく芸能界に行ける。だが余韻に浸る間もなく、会社のスタッフが私にこんな言葉を吐き捨てた。

「お前が芸能界なんて無理に決まってる。3か月で戻ってくるよ」。ふざけんな、この野郎。「分かりました。でも3年後に芸能界でまだ生きていたら、道場の前でビールかけやってやるからよ!」。そうタンカを切って私はプロレス界を飛び出した。