【越智正典 ネット裏】巨人監督藤本定義(松山商業、1924年早大入学、投手)は、戦後、戦死した沢村栄治を惜しみ、沢村に感心していた。

「遠征に出ると、毎晩『スコアブックを貸して下さい』と、わしの部屋に来よってな。沢村は自分の部屋でスコアブックを見て復習と予習をしよったんだ」。そういう藤本は東京鉄道局にいたときは貨物の統計係だった。
 以前までプロ野球の公式記録員はセ・パの記録部に分かれていたが、今は統合、NPB、日本野球機構に所属している。

 2022年1月1日現在、山川誠二(出場<担当>)1337試合、日本シリーズ3、オールスターゲーム3試合)をはじめ22人が記録と戦っている。“沢村栄治”が22人いることになる。

 一軍戦は二人一組、二軍戦は一人。一人の時は満腹が要注意。1球も目が放せないのに、一瞬ウトウトとなるかも知れないからだ。

 昔、巨人の多摩川グラウンドの対岸(川崎市中原区)に東映が作った二軍練習場でもイースタンリーグの公式戦が開催された。本塁の後ろに小さなバックネット。内外野スタンドはない。バックスクリーンもない。ネットフェンスで囲んだ原っぱである。

 レフトの後ろに東急東横線の鉄橋。電車が走ってくると球審が「タイム!」。電車と投手の球が重なると打者には危ない「電車タイム」球場である。記録員席はない。バックネットの後ろに止まり木のような椅子が二脚。誰かが、どこかからもらって来たらしい。記録員は止まり木で記入していた。探して来たのは飯塚商業、炭坑野球の日鉄北松の捕手、61年東映入団の山本恒敬らしかった。

 21年冬、記録員はコロナ対策で在宅勤務、分散出勤。それでも記録の整頓は見事に続いている。海抜60センチの洲崎球場では116試合。旧後楽園球場では7168試合。50年6月28日、巨人の藤本英雄投手が対西日本戦でプロ野球初の完全試合(4対0)を達成した青森市営球場では開催計6試合。

 青森放送のニュースキャスター菅原厚が解説している。「市営球場を“聖地”にしてるんです。高校野球の県大会は県営です。決勝だけ市営なんです」プロ野球は青森県高野連に感謝しなければいけない。

「渡り鳥の襲来による中断」も記録されている。「58年9月13日、巨人大洋23回戦、後楽園5回7分中断」。仲間とはぐれた都鳥が照明灯に入ってしまったのだ。「焼けたら大変だ」と後楽園球場の支配人吉井滋が電源を切った。7分間だったのかあー。もっと長かったと記憶している。お客さんはみんな「はやく仲間の群れに戻ってくれ」と祈っていた。無事に飛び立って行ってもファンはまだ静かにしていた。

 22年1月7日、東京は積雪10センチ、いつも謙虚な嵯峨美樹(出場試合1268、日本シリーズ3。球宴3)の顔が浮かんだ。もし、出勤日だったらこんな雪道どうということはないと、東京・港区芝の日本野球機構に一番乗りをしたであろう。記録員も多彩である。彼は往時、空前のヒット番組・NHKラジオの連続放送劇「君の名は」(作・菊田一夫 音楽・古関裕而、52年4月10日~54年4月8日)の舞台のひとつになった北海道美幌の出身である。 =敬称略=