“怒涛の怪力”と呼ばれ国際プロレスや新日本プロレスで活躍したストロング小林さん(享年81=本名・小林省三)が昨年12月31日に亡くなった。1974年3月19日にはアントニオ猪木と「昭和の巌流島」と呼ばれた日本プロレス史に残る名勝負を展開。WWWF(現WWE)でも活躍し、当時の王者ブルーノ・サンマルチノにも挑戦した。

 ベストバウトを選ぶなら猪木戦が他の追従を許さないが、国際プロ時代の73年7月9日大阪で同門の“金網の鬼”ラッシャー木村の挑戦表明を受けたIWA世界ヘビー級選手権も長く記憶に残る名勝負だ。当時は力道山対木村政彦戦(54年12月)以来の大物日本人対決と大きな話題を呼んだ。

 本紙は1面と3面でこの一戦の詳細を大きく報じている。「小林か、木村か。注目の日本人同士の世界タイトルマッチは、大阪府立体育会館に4500人の観衆を集めて行われ、小林が世界王者の面目をいかんなく発揮。バックドロップの連発で木村をKOし、2―1で24度目の王座防衛に成功した。1本目は木村がスープレックスで先制、2本目は小林がブレーンバスターを見舞い、1―1のタイとなる」(抜粋)

 3本目を報じる3面では「くる時がきた。小林、緊張顔で出撃。“先輩覚悟っ”非情の岩石落とし」の見出しが躍っている。両雄はともに32歳ながら、キャリアは日本プロレスでデビューした木村が2年上だった。

「決勝ラウンドの攻防はすさまじかった。小林がタックル、ボディースラムと追い上げる。木村も負けずにパイルドライバーの大技で反撃。両者ともにスタミナを使い果たしフラフラ。小林は死力をふりしぼりネックブリーカーからブレーンバスターの猛攻。木村はバックドロップを浴びてダウン。小林はこのチャンスを一気にものにし、エルボードロップからもう一度、バックドロップを見舞い、死に物狂いの王座防衛に成功した」(抜粋)

 日本人同士の大一番を本紙はこう分析している。「小林の逆転のバックドロップがヒットしてすっきりした幕切れ。しかし敗れた木村にもファンは惜しみのない拍手を送った。日本人同士の対決はファンにはなくてはならないものになったようだ。逆にレスラー同士が必要以上に意識し合って対決を避けようとしている風潮こそ、ファンに鋭く指摘されるべきではないか」と、次なる日本人対決の実現を促している。

 王者は11月2日のレッド・バスチェン戦にも勝利して、当時の日本記録となる25度目の防衛を記録した。1週間後にはW・マクダニエルに敗れ、王座転落するも王座奪還を果たした後、翌年2月に国際プロに辞表を提出。猪木との「昭和の巌流島」へと向かう。

 一方の木村は“金網の鬼”として小林脱退後の国際を支え、75年4月にようやく悲願のIWA世界ヘビー級王座を獲得して、名実ともに国際のエースとなり、81年の団体崩壊まで団体を支えた。崩壊後には「はぐれ国際軍」として猪木と抗争を展開したが、それはまた別の次元の話である。

 74年には猪木対小林に続き、猪木対大木金太郎(10月)の日本人対決が実現。小林対木村戦は、翌年から一気に火がついた日本人対決の“導火線”となった名勝負だった。(敬称略)