【プロレス蔵出し写真館】今から37年前の1984年(昭和59年)8月、山一抗争といわれる山口組と一和会による暴力団抗争が勃発した。プロレスを一面で扱っていた東スポも、この抗争にシフトチェンジして連日一面で報じた。
山口組と一和会が暗殺者養成に利用しているといわれたのが、グアムにあるウエスタン・ガンクラブだ。そこで銃を構えるのは…風貌とたたずまいはヒットマン風だが、藤原喜明、前田日明、佐山サトルの3人だ。
これは旧UWFが、85年3月15日からグアムで初の海外キャンプを行った時のひとコマ。
練習合間の17日、高田伸彦(後に延彦)も加わった4人で射撃を楽しんだ。44口径と45口径で36発ずつの実射で腕を競い、新日本プロレス時代にパラオで経験があるという前田が1位だった。
さて、前年の84年12月26日、後楽園ホールで開催されたUWFの「無限大記念日パートⅡニューイヤーズ・イブ」はファン感謝デーの趣で、佐山サトルの解説付きで高田VS中野龍雄(現・巽耀)、藤原VS広松智が実戦スパーリング。ファンとの合同トレーニングやオークション、そして選手が他のレスラーになりきって戦うスペシャルバトルロイヤルなどが行われた。
16文の足型を両足にくくりつけジャイアント馬場に扮した佐山は、ストロング・マシーン役の練習生に押さえられると、坂口征二に扮した前田の〝ぜい肉クロー〟に悶絶。観客は大爆笑だった。
オークションで最高値を付けたのは前田愛用のサングラス、置物、下駄の三点セットで2万5千円。前田は「これでUWFもやっと年が越せます」と冗談めかしたが、UWFの経営悪化は事実だった。
にもかかわらず、翌年グアムで合宿ができたのは新スポンサー「海外タイムス」という新聞社の支援を受けてのものだった。5月には社名も「海外UWF」に変更し、事務所も赤坂の一等地に移転。遅延していた社員の給料も支払われるようになった。
しかし、軌道に乗ると思われたUWFを悲劇が襲う。
6月18日、大阪市北区にある、とあるマンションに大勢のマスコミが集まっていた。〝悪徳ペーパー商法〟詐欺で、高齢者をターゲットに2000億円ともいわれる巨額を集めた「豊田商事」永野一男会長の自宅マンションだった。
そこに2人の男が現れ、報道陣に「俺は頼まれてるのや。ぶっ殺してこい、言うて」そう語るとドアを蹴り始め、あげくにカメラマン用の金属製のイスをひったくり、叩き始めた。「ガンガン」と激しい音が響く。
そして、通路に面した玄関横の窓のアルミの格子を引き抜き、窓ガラスを蹴破り部屋に侵入。永野会長を〝銃剣〟で刺して惨殺。窓から出てきた犯人らは、「おい警察呼べ、はよ。俺が犯人や」報道陣にまくし立てた。
これは「豊田商事会長刺殺事件」。今なら青のシートで被害者を囲うが、当時はそんな配慮はない。白いシャツとズボンが血に染まった永野会長が搬送される映像も含め、一部始終がテレビで生中継され、当時、リアルタイムで視聴した。
後から知ったことだが、UWFのスポンサー海外タイムスは、この豊田商事の子会社だった。当然のごとく、支援はなくなり、UWFはまたも苦境にあえぐ。自力活動を停止したUWFは12月6日、新日本との業務提携を発表。
84年4月に旗揚げされた旧UWFはわずか1年数か月で幕を閉じた。
なお、冒頭で触れた山一抗争は89年3月まで続くことになる(敬称略)。












