【多事蹴論(32)】東京Vはいかにして“野獣”を飼いならしたのか――。ヴェルディ川崎は2001年に名称を「東京ヴェルディ」に変更するもシーズン序盤から低迷し、初めてJ2降格の危機に直面。チームを立て直すため緊急補強を実施し、残り5試合で獲得したのが「野獣」と呼ばれたブラジル代表FWエジムンドだった。

 1998年フランスW杯に出場した世界トップクラスのストライカーである一方、希代の問題児として知られていた。ブラジル時代にはチンパンジーに酒を飲ませたとして動物愛護団体とトラブルになり、飲酒して交通事故を起こして3人が死亡。イタリア1部フィオレンティーナ時代には「リオのカーニバル」に参加するためシーズン中ながらもチームを離脱。同1部ナポリでプレーしたときはロッカーでチームメートを暴行し、清掃スタッフも負傷させた。

 そんな中、東京Vは01年10月にブラジル1部クルゼイロで首脳陣と衝突し、解雇になったエジムンドを移籍金なしで獲得。年俸は約2か月で推定5000万円といわれた。トラブルメーカーとしての懸念はあったものの、Jリーグデビュー戦のC大阪戦でゴールを決めるなどの活躍を見せ、最終戦のFC東京戦に勝利し、J1残留を確定。エジムンド加入後の5試合は3勝1分け1敗だった。

 この間、エジムンドが問題を起こさずにプレーしてもらうため、苦心したのは東京Vのイレブンだった。01年まで東京Vに所属した元日本代表FW武田修宏氏は「エジムンドがホームシックにならないようにサポートしたからね。それこそ選手たちが交代で食事に誘ったり、そういう努力は普通にしていた。ヴェルディは伝統的にブラジル人選手が多かったし、今までもうまく対応してきたから。暴れなかったでしょ」という。

 まさに救世主となったエジムンドについて東京V側は新シーズンに向けて契約する予定はなかったという。年俸だけで約2億4000万円の費用がかかるためだったが、親会社となる日本テレビ・氏家齊一郎会長(当時)の「あれだけ活躍したんだから…」との“鶴の一声”で残留が決定。その結果、問題児ストライカーは02年も好パフォーマンスを発揮。リーグ26試合で16得点、公式戦32試合で21得点とゴールを量産し、チームに大きく貢献した。

 03年には浦和へ移籍するも、わずか2試合出場で退団。このことからも東京Vはエジムンドをうまく飼いならしたとも言えそうだ。当時、東京Vの社長を務めていた坂田信久氏は「救世主だったね。高い選手だったけど。それに問題児と言われていた彼はブラジル以外の海外クラブで1シーズンを通して契約を全うしたことがないんだよ。だからこそ東京Vとエジムンドの契約はギネス記録って言えるんじゃないか。それは胸を張って言える」と振り返っていた。