船木誠勝が語る 衝撃の87年・六本木暴行事件「警察のお世話になったのは、これ1回きりです」

2021年07月11日 07時00分

新日時代から、ともに強さを求めて練習を重ねてきた船木(下)と鈴木
新日時代から、ともに強さを求めて練習を重ねてきた船木(下)と鈴木

 ハイブリッドレスラー・船木誠勝(52)が、これまでに遭遇したさまざまな事件の裏側や真相を激白する好評企画。今回は若気の至り、新日本プロレス時代に起こした東京・六本木での未成年飲酒→一般人に暴行→麻布警察署の留置所で拘留――の顛末だ。どうして暴行事件を起こしたのか、そしてブタ箱ではどうすごしていたのか。船木がすべてを明かした。


【THE FACT~船木が見た事件の裏側(7)】1987年です。11月のシリーズが開幕して、沖縄巡業に行く前日でした。新日本プロレスの営業の人が「紹介したい人がいる」というので会食したんです。その年の3月に入門したばかりの鈴木みのるも連れていきました。

 で、終わったのが夜の9時ごろ。本当にたまたま青森の同級生2人とバッタリ再会したこともあり、鈴木も入れて4人で六本木のバーに行きました。高田(延彦)さんたちに連れていってもらっていた店で、自分たちだけでも行けるようになってたんです。

 同級生と会ったこともありうれしくて、かなり飲みました。で、12時ごろでしょうか。帰ろうということになり、店を出て階段を降り始めたんです。ところが鈴木が酔っててトロトロしていたので、ふざけて「早く行けよっ」と背中をボンと押したんです。勢いがついた鈴木はトトトトトって感じで階段を駆け下りたんですが、降りたところで誰かとドンとぶつかったんです。

 ぶつかられた人が怒っちゃって、自分は止めようと入っていきました。そしたら自分にも「テメェ何だ」って絡んできたんです。そこで自分もキレちゃって、倒して馬乗りになって、相手の親指を折ろうとしていたそうです。記憶は全くないんですが。「レスラーなめんじゃねぇぞ」とかわめきながら、懲らしめてたそうです。

 アマンド(当時の六本木で待ち合わせ場所の定番)の裏でした。人だかりができて、ピーポーピーポーとパトカーのサイレンが聞こえてきて…。自分が覚えてるのはそこまでなんですけど、鈴木が言うには「パトカーなんてなかなか乗れるものじゃないから乗ろう」と言って、自分はパトカーに乗り込んだそうです。

 麻布署での取り調べでは「(アントニオ)猪木さんだったら俺たちの気持ちが分かる。猪木さんを呼んでくれ」と言ってたらしいんですが、来たのは坂口(征二)さん。坂口さんの声が聞こえた瞬間、自分は寝たふりをしたそうです。そして寝る直前に鈴木に「泣け」と(笑い)。うっすら覚えているのは、鈴木が坂口さんにバチバチ叩かれているところ。そのうち本当に寝たようです。

 気づいたら鉄格子。1人用の留置場でした。少ししたら「起きろ。行くぞ」と手錠をはめられました。手錠から股にひもも通されました。完全拘束です。別の独房に入れられました。部屋には穴がありました。それが何と便所なんです。さえぎるものは何一つなく、穴だけ空いているんですよ。そこに用を足すんです。大だけはすまいと思いました。でも、隣の独房に入ってるやつがやっちゃったんです。鈴木でした(笑い)。

 ちょっと前にテレビにも初めて出たのに、これでキャリアは終わりだと思いました。30分ごとに見回りが来て、その時は必ず正座していなければいけないのがつらかったですね。朝飯が出て昼飯が出て、夕方に永里高平専務(故人)が迎えにきました。

 当時、青山にあった事務所でひとりずつ事情聴取です。先に入った鈴木が泣きながら出てきました。クビだと言われた、と。で、自分が入ると「お前は見逃す。二度とこういうことを起こすな」と言われました。鈴木はやっとできた同い年の後輩です。失いたくなかった。それで「鈴木をクビにするのなら自分もクビにしてください」と訴えたんです。その時は保留となったんですが、何とか聞き入れてもらえました。以後、鈴木との関係が続くわけです。

 合宿所に帰って自分からツルツルの丸坊主にしました。ちょっと調子に乗っていたんですね。本気でこれから上を目指していこうという気持ちでした。ちなみに警察のお世話になったのは、これ1回きりですよ。

【今回の事件】1987年11月10日、東京・六本木で会食のあと、船木と練習生だった鈴木は未成年にもかかわらず泥酔。一般人に暴行し、最寄りの麻布警察署に連行され、ひと晩拘留された。ただ当時、警察も新日本プロレスもこの事件を一切公表せず、船木自身が後年明かすまで闇に葬られていた。謹慎処分となった船木の欠場理由を新日本プロレスは「軽い交通事故」としたとされている。

 

 ☆ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月13日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルは3冠ヘビー級王座。得意技は掌底など。

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