北尾光司さんの死に92年激突・高田延彦が教え子・望月成晃が涙

2019年03月30日 16時30分

91年には鳥取で滝行

 第60代横綱双羽黒として大相撲で活躍し、プロレス、格闘技界でも存在感を放った北尾光司氏(享年55)の死去は、各方面に大きな衝撃を与えた。ど派手なプロレスデビューから格闘家への転向、さらに弟子の育成など、スケールの大きい活動は今もファンの記憶に残る。そんな北尾氏を語る上で欠かせない2人が早すぎる死を惜しんだ。

 1987年12月に相撲界を去った北尾氏は、その後は「スポーツ冒険家」としてタレント活動。プロレスデビューを果たしたのは、90年2月10日の新日本プロレス東京ドーム大会だった。

 直前に鉄人ルー・テーズの指導を受け、対戦相手となったのはクラッシャー・バンバン・ビガロ。超人ハルク・ホーガンを意識したド派手なコスチュームで登場し、フィニッシュ技もホーガンの得意技のギロチンドロップでビガロから勝利を収めた。

 その後、SWSに参加し、91年3月には天龍源一郎とのタッグで、WWF(現WWE)の祭典「レッスルマニア7」にも出場。SWS離脱後は、フリーの格闘家に転向した。92年10月23日のUWFインター日本武道館大会では高田延彦と激突。両雄の一戦は「格闘技世界一決定戦」と銘打たれたが、試合は高田のハイキックの前にKO負けした。

 当時の北尾氏は29歳。脂の乗り切った元横綱を一撃で倒した高田はこの勝利でレスラーとしての知名度を一気に上げ、同年の東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVPを初受賞するなどマット界の頂点に立った。そんな“恩人”の訃報に高田は「北尾光司さんが亡くなったとの一報を聞いてぼうぜんとした」と絶句。「あの北尾光司がまさか55歳の若さで逝ってしまうなんて今でも信じられない気持ちです。いつか再会して言葉を交わしたいと思っていた。心よりご冥福を祈ります」とコメントを発表し、故人をしのんだ。

 北尾氏は94年に格闘技塾「北尾道場(後の武輝道場)」を旗揚げ。ドラゴンゲート前社長の岡村隆志氏や望月成晃(49)などを育てた。旗揚げ戦がデビュー戦となった望月は今でも北尾氏への感謝の思いが絶えない。

 突然の知らせに「驚きました。20年以上も連絡を絶ったままだったので…」と言葉を詰まらせ「でも北尾さんがいなければ、プロレスラー望月成晃は存在しなかった」と沈痛な表情を浮かべた。望月はデビュー後はWARなどでキャリアを重ね、ドラゲーの前身の闘龍門に合流。50歳を目前にしても第一線で活躍できているのは、北尾氏の指導のおかげだと感じている。この日出場したノア後楽園大会ではリングインの前に合掌し、かつての師匠に哀悼の意を示した。

 北尾氏はPRIDEやUFCマットにも出場したが、98年に引退を表明し、同年10月のPRIDEマットで引退セレモニーが行われた。2003年には古巣・立浪部屋のアドバイザーに就任した。晩年は表舞台に立つことはなかった。関係者と連絡を取ることもなくプロレス、格闘界とは一線を引いていたが、残した功績が色あせることはない。

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