異業種で輝く元プロ野球選手

【山田喜久夫(元中日、広島投手)】中日の本拠地・ナゴヤドームから歩くこと約10分。教育施設が隣接する住宅地の一角で「キクちゃん」の愛称で親しまれた元プロ野球選手が今、わらび餠の名店を営んでいる。中日、広島で活躍した山田喜久夫さん(45)だ。愛知・東邦高時代の1989年に選抜大会で優勝を果たし、ドラフト5位で中日に入団。ドラゴンズでは主に中継ぎ左腕として長年チームを支えた。94年には巨人とリーグ優勝を争った伝説の「10・8決戦」にも2番手で登板。悔しい思いを経験した。

「今中(慎二)の後を受けてマウンドに上がったのですが、緊張と重圧で頭が真っ白になったことを今でも思い出します。結果的に、松井(秀喜)に一発を浴びましたしね。ほろ苦い記憶ばかりですよ」

 そんな山田さんが野球とは無縁の和菓子職人を志したのは2012年オフ。現役引退後から13年間務めた打撃投手を辞めた直後のことだった。  球界関係者にあいさつ回りをするため、地元で有名だった愛知・稲沢にある「町家かふぇ」のわらび餠を手土産に持参すると、これが大好評。先々で「これ、おいしいから自分で作れば」と促された。

 味の良さは熟知していたとはいえ、幼少期から野球一筋だった山田さん。和菓子作りの手法や商売経験は皆無だったうえ、職人の道に興味があったわけでもない。妻・尚美さん(49)も、「野球とは無縁の商売で生きていくのは簡単じゃない」と大反対。それでも、直感的に「この道で勝負したい」と思った山田さんは独断で職人の道を決意。12年11月から修業生活を始めた。

 毎朝4時に起床。車で1時間かけて稲沢の師匠のもとに赴き、わらび餠のイロハを学んだ。

「早朝から2時間以上休まずに材料を練り続けるのですが、これが大変で。ずっと練っているから腕が疲れて棒のようになった。体力には自信がありましたが本当につらかった。真冬の時でも汗だくの日々でしたからね」

 山田さんの作るわらび餠は本わらび粉を使用した特製品。保存料も一切使わない手作りのため、独特の食感や味を出すのも難しい。試行錯誤を繰り返す厳しい日々。それでも、師匠の教えに従い懸命に取り組んだ結果、およそ1年で熟練の手法を習得。14年3月に自身の店「喜来もち ろまん亭」を名古屋市内にオープンすると、天然素材で作られる逸品は瞬く間に地元で評判に。今では自店舗だけでなく、地元デパートにも販路を拡大し、今春からはナゴヤドーム内の飲食店でも提供。キク(喜来)という店名から結婚式の引き出物としての知名度も高まりつつある。

「皆さんに喜んでいただけるのが一番です。これからは東京などでも販売できればと思っています」

 山田さんにはわらび餠での成功とともに別の夢もある。母校・東邦高の指導者として甲子園で優勝することだ。

 職人の道に進んだ12年にNPO法人「侍」という野球塾を立ち上げた。以来、自らの修業と並行しながら様々な形で子供たちに野球の楽しさを伝えてきた。その集大成が母校での指導だという。

「私は幸運なことに甲子園に出場して優勝投手になれた。その喜びは格別だったので、母校の後輩にもそんな経験をさせてあげたい」

 今春には山田さんの長男・斐祐将(ひゅうま)君が東邦高に入学。

「長男を含め3人の息子が野球をやっています。いつか息子らとともに甲子園に出場できたら…幸せですね」

 和菓子職人を極めながら母校の指導者にも挑戦。45歳になっても夢は尽きない。

☆やまだ・きくお=1971年、愛知県生まれ。東邦高から89年のドラフト5位で中日入団。プロ1年目から主に中継ぎとして活躍。99年に広島に移籍し、同年オフに引退。2000年から07年まで横浜の打撃投手を務め、08年から12年まで中日の打撃投手。14年3月に「喜来もち ろまん亭」をオープン。現在はNPO法人「侍」、地元中学での野球指導にも携わる。プロ通算成績は222試合6勝8敗、防御率3・76。左投げ左打ち。