巨人元投手コーチ・中村稔さん死去 第2次藤田政権の首脳陣は今ごろ天国で昔話に花を咲かせているだろう

2021年06月25日 14時00分

右から中村コーチ、藤田監督、近藤ヘッド
右から中村コーチ、藤田監督、近藤ヘッド

【赤坂英一 赤ペン!!】巨人の元投手コーチ・中村稔さんが、今月2日に82歳で亡くなった。

 2006年に74歳で他界した藤田元司さん自身をはじめ、ヘッドコーチの近藤昭仁さん(19年80歳没)、守備コーチの滝安治さん(03年62歳没)もすでに故人だ。第2次藤田監督時代(1989~92年)に在野から巨人入りした主要首脳陣が、全員鬼籍に入られた。

 あの時代、斎藤雅樹がエースに成長したきっかけは、89年の11試合連続完投勝利にあった。実は、この舞台裏で中村投手コーチが意外にも大きな貢献をしている。

 藤田さんは連続完投が続いている間、何度も「斎藤を代えるか。もうもたないよ」と中村さんに相談した。そのたびに中村さんは「大丈夫、大丈夫。そのうち立ち直りますから」と押し戻していたのだ。ベンチでこの光景を見た加藤初兼任投手コーチ(16年66歳没)はこう言っていた。

「藤田さんも本心では斎藤を続投させたいんだが、いまひとつ自信が持てない。そういう時、稔さんが絶妙のタイミングで励ます。だから、藤田さんには稔さんが必要だったんだろうね」

 ヘッドコーチの近藤さんは叱責役だ。当時の主砲は藤田さんが格別かわいがっていた原辰徳・現監督。その原が本塁でアウトになると「中途半端なスライディングをするな!」と、試合後の全体ミーティングで厳しく注意。僕がその件について聞くと「アレは原の怠慢プレー。罰金ものですよ」とバッサリやっていたものである。

 当時、巨人OBの間では「藤田さんは原を甘やかし過ぎだ」ともっぱらだった。そこで近藤さんに原に“喝”を入れる役を任せていたのだろう。

 滝さんは選手、コーチとして実績が乏しく、89年の入閣は球界を驚かせた。すると、藤田さんが発起人となり、コーチ就任パーティーを開催。壇上で「滝をナメてもらっては困ります」などとドスを利かせたあいさつをしている。こんなことも今時では考えられない。

 滝さんはコーチ就任前、文藝春秋の雑誌などで評論家やライターとして様々な活動を展開。詳しい裏話をつづった記事には、コアなファンが多かった。試合のない移動日に記者がネタに困っていると、滝さんが言いだしたことがある。

「よし、俺が一つ球界に爆弾を落としてやろう。何のネタがいいかな」

 この時は、藤田さんが「余計なこと言うもんじゃない」とたしなめ、続きが聞けなかったのは残念。みなさん、今は天国で昔話に花を咲かせていることだろう。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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