【藤井康雄連載コラム】阪神・淡路大震災当日、車を運転していたら…

2020年11月06日 11時00分

「がんばろうKOBE」で復興シーズンがスタート

【藤井康雄「勇者の魂」(15)】1995年1月17日、神戸が阪神・淡路大震災に見舞われました。僕は毎年、鳥取のジム「ワールドウィング」に自主トレに行っていて、1月の第2日曜日には大阪で高校(泉州高=現近大泉州)のOB会総会に出ているんです。16日に難波で総会に出て、また鳥取に戻るつもりでいたんです。総会が終わって同期の連中と朝まで語り明かし、朝5時にファミレスを出て車で友人を何人か送り、神戸に向けて阪神高速に乗りました。最寄りの月見山のインターを降りたころ、ハンドルを取られる感覚があった。デコボコ道を走っているみたいで「あれ、パンクしたか」と思いながらそのまま走った。でも…山の手の方とはいっても街灯の電気は消えているし、なんか雰囲気が違う。

 それで家に着いたら停電していて、嫁さんが慌てて懐中電灯持って出てきて「あなた、大丈夫なん?」って。「えっ、どうしたん?」「すごい地震があった」。僕はわかっていなかったんですよ。辺りが明るくなってきて、家の中がぐちゃぐちゃになっているのがわかりました。一瞬、電気が戻ってテレビを見たら自分がさっきまで走っていた高速道路が倒れていたんですよ。あと10分遅かったら…。とりあえず「朝ご飯どうしようか」となって嫁さんがマクドナルドに行ったら2時間待ちでした。

 水は出ない、停電で何もできずで、数日後に僕の地元の広島・福山に家族で避難しました。高速が使えないので山道を使ってね。福山で自主トレを続け、数日して球団と連絡が取れたんです。宮古島キャンプは自主参加でいいと…。子供たちは保育所に預かってもらえました。神戸が気になったけど、ずっと電気もガスも戻ってないから帰りたくても帰れませんでしたね。

 宮古島へは広島から福岡に行って、沖縄経由で入りました。この状況で野球をやってていいのか…とか、複雑な思いを抱えながらもキャンプには全員集まったんです。気持ちに余裕はなくても、練習しているとだんだん「神戸のためにやらなきゃ」という気持ちになってくる。一方でシーズン開幕できるのかっていうのもあって…。

 キャンプが終わってオープン戦をやりながら神戸に帰ってくるんだけど、街の道路が波打っているんです。あのきれいな神戸が悲惨なことになっている。電車も途中で切れていてどうやって移動するんだっていう…。そんな中、仰木彬監督や井箟重慶球団代表から「こんな時だからこそやらなきゃいけない」という話があって「ああ、シーズンはできるんだ」と。それで「がんばろうKOBE」のワッペンを袖につけたんです。

「こんな時にお客さんが入るのか」と思っていたら4月1日、開幕戦のグリーンスタジアム神戸は満員。神戸の人たちも一緒に頑張れる存在が欲しかったんだな、と感じましたね。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。
    

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