【昭和~平成スター列伝】本紙好評連載中の「全日本プロレス四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証言」が佳境を迎えている。記者は全日本プロレス、ノア時代に担当を務めたが、面倒くさいことや細かい記憶を語ることが大嫌いな田上が、ここまで自身や他の選手について語ること自体が奇跡に近く、UMA発見に等しい快挙である。
大相撲十両から鳴り物入りで1987年にプロレス入りした田上は、御大・ジャイアント馬場の命令で90年から“怪物”ジャンボ鶴田とタッグを組み、急成長を遂げた。まだ「四天王」と呼ばれる以前の時代である。
92年3月4日、日本武道館では実に4回目の挑戦で当時最強を誇った“殺人魚雷コンビ”テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムス組から初めて世界タッグ王座を奪取している。
「エース鶴田と“お荷物”と言われ続けた田上の意地が爆発した、鮮やかな悲願達成劇だった。攻めるだけではなく、王者組の10分にも及ぶ波状攻撃にもガマンできる体力と忍耐力も備わった田上。ウィリアムスの逆エビ、ラリアート、ゴディのパワーボム2連発にも耐えた。勝負がどちらに転ぶか分からないタイトロープの25分過ぎ、田上の玉砕戦法がついに殺人魚雷コンビの分断に成功した。ウィリアムスが最上段から鶴田にカーフブランディングを仕掛ける。すかさず田上が足を取って立ち往生させた。ここを鶴田に任せると、乱入してきたゴディを場外へ。そのままトペを敢行だ。孤立無援のウィリアムスを鶴田が岩石落とし。無防備に立ち上がってきたウィリアムスに相撲流のブチかましだ。後は鶴田がゆっくりとヘソで投げる岩石落としでウィリアムスから3カウントを奪った。鶴田は『危ない場面でも頑張れたね。感無量だよ。とにかく田上がよくやってくれたよ』と称賛。田上は『勝つまでの道のりがやけに長かったという感じだね。まだこれからですよ』と語った」(抜粋)
当時田上は30歳。ようやく手に入れた世界のベルトだった。しかし鶴田は同年11月から肝炎のため欠場に入り、田上はデビュー2か月目の秋山準と組み、世界最強タッグ決定リーグ戦に臨む。あの強心臓の秋山もさすがに緊張を隠せず、毎試合が試練となった。試合前にうつむいて控室前を行ったり来たりしながら、熟考していた姿を今でも思い出す。
結局、田上は翌93年から川田利明と“聖鬼軍”を結成。三沢光晴、小橋建太(当時・健太)の超世代軍とタッグ、シングルで激しい試合を展開してやがて「四天王プロレス」と呼ばれるようになり、全日本は黄金期を迎えることになる。 (敬称略)













