TAJIRIがまだプロレスラーになる前のことだ。大学を卒業して会社員として働く一方、仕事を終えると電車に乗り、東京・浅草にあったアニマル浜口のジムへ毎日のように通っていた。
「気合だ!」の掛け声で広く知られる浜口だが、実際のジムの雰囲気は、そのイメージとは少し違っていた。普段は自主的にウエートトレーニングに励み、日曜日にはレスリング教室が開かれ、男女のレスラー志望者が30人ほど集まっていたという。「思っているような地獄道場みたいな感じでは全然なくて、生徒たちの自主性に任せているような雰囲気でしたね。みんなレスラーになりたいという共通の目標があって、意識の高い人たちの集団でした」。自身も、その一人として汗を流していた。
「毎日500回、1000回と交互にスクワットをやっていました。でも僕が特別いっぱいやっていたわけじゃなくて、みんなそれぐらいやっていたんです」。在籍は約3か月。TAJIRIは浜口から直接指導を受けたという感覚は薄かったが、復帰に向けて練習していた浜口と相撲を取ったことがある。「『お前は力が強いな』と言われたことがあって。それはやっぱりうれしかったですね」と当時を振り返った。
ジムでは、アニマル浜口の長女で、後に五輪女子レスリングで2大会連続銅メダルを獲得した浜口京子とも一緒だった。当時はまだ15歳だったという。「テレビの取材が来ると、京子ちゃんが嫌そうな顔をしていましたね。きつくなるから(笑い)。会長の大きな声が雷門の辺りまで聞こえてきて、『テレビが来たんだな』って分かるんですよ」。取材が入ると父・浜口の気合も普段以上に入り、京子への指導も厳しくなったという。
当時の京子は「男が持つようなダンベルを持ってやっていました」。女性とのスパーリングでは、浜口から片手を後ろにするよう指示されていた。TAJIRIによれば、その中には後に全日本女子プロレスで活躍した高橋奈七永もいた。「それでも勝っていましたね、片手で」。後に五輪の表彰台に立つ京子の15歳当時を、間近で見ていた。












