【レジェンド雀士からの金言】1981年に「プロ雀士」という存在が誕生してから約半世紀、麻雀プロ界の礎を築いてきたレジェンドの麻雀人生、勝負哲学、後進への思いを今に伝えるインタビュー連載。今回は女性プロ雀士第1号でもある“パイオニア”浦田和子の後編だ。女性プロ雀士として初出演した対局番組のこと、後進プロたちへの思いを聞いた。
1998年、麻雀対局番組に女性プロ雀士として初めて出演したのも浦田だった。「MONDO TVの『MONDO21杯』という番組に声をかけてもらったんですが、女性プロ雀士の出演は前例がなかったので、対局中の服装なども誰にも相談できず自分で決めなきゃならなかったんです。しかも後ろに大きなカメラとカメラマンがいる中での対局は初めてだったので、手が震えてきてしまって、もしもチョンボでもしたら大変なんて思いながら対局していたので、あまりいい成績は残せませんでしたけどね」
現在は女性プロ雀士も飛躍的に増え、対局も映像で見られることが当たり前の時代になった。「女性プロにとってはいい時代になったなとは思いますが、私の時代もそれはそれで良かったなと思っています。なぜなら荒波にもまれたほうが強くなれるからです。麻雀は精神力の勝負なので、悔しい思いをしたところから這い上がる力がある人が真の強者だと思います。ちょっとかわいいから勝たせてあげようなんて世界じゃない。常に真摯な気持ちで牌と向き合い、絶対やり遂げるんだという強い精神力を持ち、自分のパワーと手作りがマッチしないと勝ち切ることはできません」
そのためには「とにかくたくさん打つしかない」という。「そして最終的には相手ありきの自分という立場で、聞く耳を持っている子は強くなれると思います。もうダメだと思ったらダメになっちゃうのは麻雀だけじゃなく、どんな仕事もそうだと思うんですよね」
麻雀プロ黎明期を切り開いてきたからこそ伝えたい思いがある。「Mリーグが始まったことはすごくいいことだと思います。若い方がMリーグを見て麻雀に興味を持ってくれれば、麻雀人口も増えていくからです。ただ最近のプロの打ち方は、男女問わず均一化というか画一化しているプロが多いように見えます。もちろん時代によってルールも流行も変わっていきますが、その中で自分はどう打つのかをもっと考えて、自分なりの自分だけの麻雀を見つけてほしいなと思っています。何でもそうですけど、オリジナリティーは自分で見つけるしかないんです」
さらにこう続ける。「人生も生を受けてからまっとうするまでの間に自分に何ができて、どうやって生きていくのかを考えます。自分の麻雀を見つけることは自分がどう生きるかに直結してきます。そもそも麻雀が好きだからプロになったと思うので、自分の麻雀とはなんなのかということを突き詰めて考える時間こそが麻雀を打つ意義だと知ってほしいなと思っています」
浦田麻雀の特徴をひとことで言えば“手役重視自在攻撃型”だという。
「相手もそれぞれ特徴があります。リーチを受けたらすぐオリるタイプなのか、とにかく攻めてくるタイプなのか、スジ牌で待つことが多いのかなど、対局相手の特徴を卓上で探りながら発見し、対応しながら麻雀を打ってきました。その積み重ねのおかげで相手を見極める力は身についたと思います。相手を見極める力は普段の生活にもすごく生かされていて、自宅に警察を名乗る人が来たり、区役所の職員だと語る人から電話が来たこともあったんですが、なんか違和感というか、どこかおかしいなと気づいて、どちらも詐欺だと見抜いたこともありましたね」
18歳で麻雀を覚えてから半世紀を超えた。「これまで会社員、プロ雀士、麻雀店経営をしてきた中で結婚、離婚もありましたが、借金は絶対ダメだ、保証人にはなるな等、お金に関してシビアだった父の教えだけは守ってきました。そのおかげで60歳の時に父が遺してくれた土地に家を建てて、現在は駐車場を経営しています。麻雀にも相変わらず熱中していて、仲間とセットしたり、都内にあるノーレート雀荘『麻雀CLUB TAKATSU』に通って若い方たちとMリーグルールで麻雀を楽しんでいます。毎朝6000歩は歩いているんですが、健康で麻雀が打てる今が一番幸せです。心底そう思えるのは麻雀と出会えたからですけどね」
☆うらた・かずこ 1955年2月8日、東京都生まれ。B型。87年、日本プロ麻雀連盟に入会。97年、日本プロ麻雀連盟退会後、日本麻雀愛好クラブ(日本プロ麻雀棋士会)設立に参画。2002年には念願の第27期王座を獲得。好きな手役はタンピン三色(タンヤオ・ピンフ・三色同順)。好きな牌は2索。好きな映画は「007シリーズ」と「緋牡丹博徒」。座右の銘は「命あっての物種」。













