【レジェンド雀士からの金言】日本プロ麻雀連盟の第1期生として、その頂点となる鳳凰位を4度獲得。「Mリーグ」でもKONAMI麻雀格闘倶楽部の精神的支柱としてチームの創成期を支えてきた前原雄大(68)は、2025年にA1リーグ(団体の最上位ランク)へ復帰。一時はトータル首位を走っていたが、体調不良のため「全タイトル戦から身を引く事に致しました」と発表し、多くの麻雀ファンに衝撃を与えた。緊急インタビューで麻雀にすべてを捧げた男が自身の半生を振り返る――。

 前原は幼少の頃から言葉に対して興味があったという。「本好きの母親の影響で、小学生の頃から本を読むのも文章を書くことも好きでした。貧乏だったのに世界少年少女文学全集を買ってくれて、全部読み終えたら国語辞典を持ち歩いて読んでいました」

 6歳の頃、自宅で両親が友人と打っていた麻雀を見てから家族麻雀で牌に触れるようになった。大学進学後、本格的に打ち込むようになり、卒業後は麻雀の道で生きていくことを決意した。「24歳の時に結婚し、新撰組と名付けた麻雀店を東京都武蔵境市に夫婦でオープンしました。新店舗は常に満員御礼でものすごく流行りました」と念願の一国一城の主となった。

MリーグではKONAMI麻雀格闘倶楽部からドラフト指名を受け、2018年から3年にわたってチームを牽引(C)Mリーグ
MリーグではKONAMI麻雀格闘倶楽部からドラフト指名を受け、2018年から3年にわたってチームを牽引(C)Mリーグ

 前原が人生の伴侶を得た1981年は、日本プロ麻雀連盟が設立された年でもあった。「経営が落ち着いてきた頃、大好きな先輩から日本プロ麻雀連盟の設立に向けて研修会を開催するので、いつ辞めてもいいからとにかく来てくれと言われたんです。随時募集していた研修会には年間100人ほど来たんですが、残ったのは3人。私以外の2人は1年経たないうちに辞めてしまいました。2期生からはプロテストが行われたんですが、最終的には1人も残らなくて、3期生として土田浩翔、沢崎誠、藤原隆弘らが入ってきたんですよね」

 プロ入り後は一心不乱に稽古に励んだ。「稽古量は麻雀プロの中では3本の指に入ると自負しています。当時はいつ麻雀やるぞと言われてもいいように酒はいっさい飲まず、いざ麻雀となれば、しっかり食べて、サウナに入って、日々ノートに書きとめていた自分を律する言葉を読み返してから対局していましたね。集中力を高めるために睡眠を重視していたので、プロ入り後に最初に購入したものは、当時100万円以上するウォーターベッドでした」

まさに〝麻雀に生きる〟日々だった
まさに〝麻雀に生きる〟日々だった

 麻雀店舗事業はチェーン店化を目指していたが、2号店が軌道に乗れず、27歳の時に第1子が誕生したことを機に閉店。経営の道からはスパッと手を引き、執筆活動に力を入れ始めた。観戦記をはじめ、コラムや麻雀漫画の原作等、1か月に10本以上の連載を持っていた時期もあった。

 1992年、双葉社が主催していた「名人戦」で運命の出会いがあった。「直木賞を受賞された直後だった作家の伊集院静さんが名人戦に出ていたんです。伊集院さんはそれまで見たこともない強い意志のある麻雀でした。打ち方に品格があったんですよね」とその麻雀にひと目惚れした。

 伊集院を恩師として慕うようになった前原は、麻雀をはじめ多くの時間を共有するようになっていった。そして月刊プロ麻雀という麻雀専門誌からエッセイの連載を依頼された1993年、恩師にある〝お願い〟をした。「伊集院さんに名付け親になってもらえませんかとお願いしたんです。名前は一生背負っていきますと伝えたら『雄大』と命名してくれました。エッセイのタイトルは『勝手にしやがれ』と決め、題字も伊集院さんにお願いし、誌面上で命名式までして頂きました」と以降10年以上、連載を続けた。「伊集院さんからは40歳までに鳳凰位を取れなかったらプロをやめなさいと言われていました。麻雀プロとしての覚悟を持てということだったと思うんですよね」と恩師の期待に応え、39歳の時、鳳凰位を初めて獲得した。

伊集院静さんからは文章のアドバイスももらったという伝説のエッセイ「勝手にしやがれ」
伊集院静さんからは文章のアドバイスももらったという伝説のエッセイ「勝手にしやがれ」

 鳳凰位になってからもさらに稽古に励み、多い月は600半荘以上打ち込んだ。「勝負事は反省しかないというのは、競技かるたをやっていた母親の口癖でした。だから勝てば反省、負ければ後悔。ずっとこの繰り返しですね」。※後編に続く

 ★まえはら・ゆうだい 1956年12月19日、東京都生まれ。A型。早稲田大学卒。日本プロ麻雀連盟。主な獲得タイトルは第12・25・33・34期鳳凰位、第14・15・24・25・26期十段位他多数。著書は「麻雀 何が何でもトップを取る技術」。