立憲民主党の代表代行などを務めた元衆院議員の江田憲司氏(70)が21日、政界引退を表明した。20年以上に及んだ政界キャリアで、政界再編に奔走し続けたが、結実することはなかった。
江田氏は通産省(現経産省)時に通産相に就任した橋本龍太郎氏の政策ブレーンで秘書官に抜てきされ、橋本政権では首相秘書官を務めた。「中央省庁再編などの行革に取り組み、若くして権勢を振るった。手柄自慢をよくしていましたが、霞が関からは冷たい目で見られていた」と、振り返るのは江田氏を知る永田町関係者だ。
秘書官退任後は通産省には戻らずに充電時間をへて、2002年の衆院選で国会議員に転身した。「甘いマスクで、しゃべりが上手で、テレビにもよく出ていて、地元ではマダムに人気がありました」(同)。政界再編論者で、渡辺喜美元行革担当相と09年に結党したみんなの党は第三極として、一大ムーブメントを巻き起こした。
36人まで所属議員が増えたが、渡辺派と江田派で骨肉の争いが起き、幹事長を更迭された。江田派を引き連れ、新党「結いの党」を結党し、大阪市長の橋本徹氏率いる政治団体「日本維新の会」と新たな第三極の結集に動いた。
その後、民進党、立憲民主党で代表代行を務めたが、今年2月の衆院選で小選挙区落選し、比例復活もできなかった。引導を渡したのは渡辺喜美氏の〝最後の弟子〟といわれるみんなの党出身の自民党・三谷英弘衆院議員という皮肉な運命だった。
江田氏は「官僚人生が第一の人生で、みんな、結い、維新、民進党と4つの党を結成し、20有余年の政治家が第2の人生だった。これからは新たに第3の人生を歩んでいけたらいい」と言論出版活動のほかに弁護士資格の取得を目指すと話した。













