米国・WWEは31日(日本時間1日)、2026年度の名誉殿堂「ホール・オブ・フェイム」の「イモータル・モーメント」部門で、祭典「レッスルマニア3」で行われたハルク・ホーガンvsアンドレ・ザ・ジャイアントのWWFヘビー級王座戦を選出した。

 同部門は歴史的に大きな影響力を残した試合をたたえるもので、第1回の昨年度は「レッスルマニア13」ブレット・ハートvsスティーブ・オースチンが選ばれた。今年度のホーガンvsアンドレは、1987年3月29日にミシガン州ポンティアックのシルバードームで、当時屋内の世界新記録となる9万3173人の大観衆を集めて実現した。

ホーガンvsアンドレが「イモータル・モーメント」部門で殿堂入り(©WWE)
ホーガンvsアンドレが「イモータル・モーメント」部門で殿堂入り(©WWE)

 団体CCO(最高コンテンツ責任者)のトリプルHは自身のXで「レッスルマニア3のメインイベントは、単なるWWEの歴史の一部ではなく、私たちの業界のあらゆる部分のDNAに刻まれている」などと選出理由を説明。この言葉通り超人vs大巨人の世紀の一戦は異様な盛り上がりを見せた。当時の報道によると下馬評ではアンドレ有利だったが、裏側では何があったのか。

 ここまでWWE(当時WWF)の頂点に3年2か月も立っていたホーガンに対し、ビンス・マクマホン代表は取材に「ホーガンの長期政権もこれでピリオドを打つかもしれん」と王座陥落を予言。当時のホーガンはエンターテインメントの世界でも抜群の人気を得ており、後のザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)のように、芸能界に転身するのでは…との見方もあった。アンドレからピンフォールを奪うことを公約にしていたものの、精神面での不安がささやかれていた。

 一方の大巨人は絶好調。当時の報道によると、250キロあった体重を238キロまで落としたという。これは故障していたヒザへの負担を減らすためで、アンドレは「オレにとってプロレスはビジネスでしかなかった。だが去年から右ヒザを悪くして欠場していた時、考え直したんだ。オレだって、そう先が長いわけじゃない。ヒザが治ったら実力だけでなく名誉でもトップのWWFベルトを手にする」と、〝アスリート〟としての偽らざる胸中を語っていた。

 すさまじい大歓声の中で始まった世紀の一戦は、序盤からアンドレの巨体とホーガンのパワーが真っ向からぶつかり合う。現代プロレスのような派手な大技は一切なし。殴り合って蹴り合って体をぶつけ合って、ド迫力の攻防を繰り広げた。場外戦をしのいだホーガンが、アンドレのビッグブーツをかわして逆転のアックスボンバー。立ち上がってきた大巨人をこん身のボディースラムで投げ捨てた。とどめは必殺のレッグドロップで、難攻不落の大巨人から3カウントを奪ってみせた。

 歓喜のホーガンと対照的に、アンドレは「何もせず、何もわめかず一人静かに控室へ消えた」(87年4月1日付東京スポーツ)。大巨人が潔く負けを認めたのは、アスリートとしての自負だったのかもしれない。

 26年度のWWE殿堂入りはステファニー・マクマホン、AJスタイルズ、デモリッション(アックス&スマッシュ)、デニス・ロッドマン、レガシー部門でサイコ・シッド、バッドニュース・ブラウン(アレン)。同式典は、祭典「レッスルマニア42」(18、19日=日本時間19、20日、ネバダ州ラスベガス)の前日17日(同18日)に、ラスベガスの「ドルビー・ライブ・アット・パーク・MGM」で開催される。