巨人軍の故・長嶋茂雄終身名誉監督と、ソフトバンクの王貞治球団会長(85)が、長年にわたり足を運んだのが宮崎市の釜揚げうどん店「重乃井」だ。店を切り盛りする女将の伊豫展子さん(75)は、長嶋さんを「太陽」、王会長を「月」と表現する。その2人を迎えてきた店には、伊豫さんが約40年守ってきた“レシピのないつゆ”と、しょう油を飲んで覚えた味が息づいている。
重乃井の壁には、うどんを頬張る長嶋さんの写真がいくつも飾られている。女将の伊豫さんにとって、その一枚一枚が「太陽」の記憶そのものだという。「長嶋さんは、最初からスターでした」。30代半ばで店に嫁いで間もない頃、テレビの中の存在だった人物が突然、目の前に現れた。その瞬間の緊張感は、今でも忘れられない。
緊張するなという方が無理だったが、長嶋さんはそれを察するように「緊張しなくていいよ。僕は普通の人だから」と先に声をかけてくれた。気負わせない言葉選びと、場の空気を一瞬で和らげる笑顔。相手の立場を思いやるその姿勢も含めて、伊豫さんは「太陽」だと感じたという。
印象に残っているのは、その姿だけではない。オレンジやピンク、モスグリーンなど、明るい色合いの服装で現れることが多く、店に入った瞬間から自然と目を引いた。「普通の人ならためらうような色でも、長嶋さんだと不思議と似合う。服の色からして、もう太陽なんです」。本人に気負いはなくとも、自然と周囲が華やぐ存在だった。
来店時の所作も印象深かった。長嶋さんが好んだのは、湯がき場のにおいが届く席。釜から立ちのぼる湯気と、だしの香りを吸い込みながら「いいにおいだな」とうれしそうに待つ姿は、周囲の空気まで明るくした。
うどんが上がると「これこれ」と声が出る。注文は決まって大盛りで、いなり寿司も3個が定番だった。「ここのうどんが一番」「このうどんに勝つところはない」。誇張やサービスではなく、食べたままの感想を率直に口にする。その言葉が、店にとってどれほど大きな励みだったか。「あの一言で、また頑張ろうと思えた」。伊豫さんはそう振り返る。
その長嶋さんは昨年6月3日、89歳で亡くなった。訃報に接した時、「身内を失ったような悲しさだった」と伊豫さんは声を落とした。扉を開け、満面の笑みで入ってきた姿が、今も鮮明に脳裏に浮かぶという。
一方で、伊豫さんが「月」と表現するのが王会長だ。店に来ても特別扱いを求めず、自然に席に溶け込む。「普通のお客さんのように来る」。派手さはないが、いつも変わらずそこにいる存在だった。
その印象を決定づけたのが、2006年に胃がんで胃の全摘手術を受けた前後の出来事だった。手術前、伊豫さんが電話を入れると、「俺は大丈夫だよ。まな板の上の鯉だから。俺ではなく医者が頑張ってくれるから心配するな。退院したら店に行くから」と返ってきた。自分の不安を口にせず、相手を安心させる言葉。その落ち着きと強さに、伊豫さんは「この人は月だ」と感じたという。静かに、しかし確かに周囲を照らす存在だった。
退院後、痩せた姿で重乃井を訪れた王会長に対し、伊豫さんは出し方を変えた。通常通りでは体に負担がかかると判断し、ゆで時間を延ばし、途中で麺を切り、量も抑えた。口にしたのは数本で「ごちそうさん」。それでも「それだけ食べてもらえただけで、私は十分うれしかった」と言う。言葉にしなくても通じる関係があった。
その「通じ合う感覚」は、重乃井の味づくりにも通じる。店の核は、伊豫さんが約40年守り続けてきた“レシピのないつゆ”だ。義母から教えられたのは「体で覚えなさい」という一言だけだった。さらに続いたのが、「毎日しょう油を飲みなさい。飲んで辛みを覚えなさい」という教えだった。なめるのではなく飲む。辛み、濃さ、薄さ、甘み。その微妙な差を、舌と喉で覚え込むしかなかった。
約40年作り続けても、「今日は最高」と思える日はほとんどない。だからこそ毎回悩み、最後に助けを借りるのが揚げ玉だという。「このつゆの状態なら、この揚げ玉が助けてくれる」。微差を積み重ねる世界が、そこにはある。
夫の史之さんは10年ほど前に亡くなり、今、麺打ちの中心を担うのは長男の雄三さん(49)だ。最初から継がせるつもりはなかったが、今は雄三さんが店の中枢に立っている。
太陽と月。その間にあるのは、完成のない味と向き合い続ける日々だ。「完成はない。死ぬまで勉強です」。女将の伊豫さんは、2人の英雄が愛した味を、今も変わらず守り続けている。

















