男子ゴルフの〝ジャンボ〟こと尾崎将司さんが、23日にS状結腸がんのため死去した。78歳だった。日本最多の通算112勝(うちツアー94勝)を挙げ、賞金王は最多の12回。プレーだけでなく、晩年には若手育成にも尽力し活躍選手を育てた。指導者適性も抜群だった尾崎さんに〝予知能力〟があると力説するのは、日本ゴルフツアー機構(JGTO)の元会長・小泉直氏(86)だ。50年以上前の秘話を明かした。
尾崎さんは野球出身で徳島・海南高(現海部高)のエースとして活躍し、1964年の選抜大会で優勝。高校卒業後はプロ野球・西鉄(現西武)入りしたが、実働3年で見切りをつけてゴルフの道へ進んだ。70年のプロテストに合格し、翌71年に日本プロ選手権で初優勝。才能が開花すると初優勝から4年間で25勝を挙げる快進撃だった。
まさにイケイケの駆け出しプロゴルファーだったころ、当時小泉氏はトヨタ自動車に勤務しており宣伝担当。尾崎さんを同社販売店のイベントに呼んだことがあった。そのとき、2人の弟である健夫と直道の話題になったという。「尾崎3兄弟として出る前、トヨタ自動車のイベントで呼んだことあるんですよ。そのころ『将来、必ず大成するよ』ということを言っていました。(弟2人が)プロになる前ですよ」と振り返る。
ジャンボとして知られる長兄・将司のほか、健夫はジェット、直道はジョーの愛称で親しまれ、尾崎3兄弟がゴルフ界で活躍してきたのは周知の事実。ただ、尾崎さんは2人の弟がプロゴルファーとしてデビューする前から、それがわかっていたかのような話しぶりだったという。
もちろん兄弟関係から、ひいき目で見ていた部分もあるかもしれないが、小泉氏は「彼は何か持っているんですよ。それが選手を見る目なのか、言葉ではうまく言えませんが、素晴らしいものを持っていますね」とその慧眼を力説した。
今から50年以上前のことだが、後に尾崎さんが若手選手の育成に力を入れ、教え子が次々と活躍するようになったことで〝あの時の言葉〟をふと思い出すことが増えたという。
尾崎塾の門下生たちにはビッグネームがずらり。今季の国内女子ツアー年間女王・佐久間朱莉(23=大東建託)、「全米女子オープン」2勝の笹生優花(24=アース製薬)、国内5勝で来季は米ツアーを主戦場とする原英莉花(26=NIPPON EXPRESSホールディングス)、今年の「シェブロン選手権」でメジャー初勝利の西郷真央(24=島津製作所)らそうそうたる顔ぶれだ。
近年の女子選手だけでなく、健夫や直道をはじめ、ジャンボ軍団に活躍選手が多かったのも、尾崎さんが持つ選手の未来を見抜く力が抜群だった上に、的確なアドバイスを送ったからこそだと言える。
その一方で、自身は国内での輝かしい実績がありながら、海外では力を十分に発揮できなかった側面もある。「AON」と呼ばれ、しのぎを削った青木功(83)や中嶋常幸(71)と比べても明らかだ。小泉氏は「海外に目を向けられなかったのは残念。実力的にはもっとやれたでしょうし、〝世界の尾崎〟にもなれる力はありました」と指摘した。
唯一足りないことがあるとすれば、海外での実績だったが、ゴルフ界に多大な功績を残したスーパースターだったことは間違いない。ジャンボのDNAは着実に次世代へと受け継がれていく。
☆おざき・まさし 1947年1月24日生まれ。徳島県出身。プロ野球選手からプロゴルファーに転身。70年のプロテストに合格し、翌71年に初勝利を挙げた。賞金ランキング制がスタートした73年は初代賞金王。96年にはプロ通算100勝に到達し、98年に歴代最多となる12度目の賞金王に輝いた。2002年の全日空オープンでツアー史上最年長の55歳7か月で優勝。10年には世界ゴルフ殿堂入りを果たした。66歳だった13年の「つるやオープン」第1ラウンドに62をマークし、レギュラーツアー史上初のエージシュートを達成した。











