【昭和~平成スター列伝】前回は1976年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」年間最高試合賞(ベストバウト)を獲得したジャンボ鶴田対ラッシャー木村戦について触れた(同年3月28日蔵前国技館)。この試合はまだデビュー3年目の鶴田の「試練の十番勝負第2戦」として行われた。「十番勝負」は全日本プロレスの看板企画であり、ジャイアント馬場、ザ・デストロイヤーらが先に敢行している。
鶴田にとっては大抜てきであり、未来のエースに育てるべく組まれた企画で、10戦を終えるまで実に3年半の期間を要している。初戦は“AWAの帝王”バーン・ガニア戦(76年3月10日、日大講堂)で、当時はニック・ボックウィンクルに王座を渡していたものの「世界の強豪」であることは間違いなく、くしくもレスリングロンドン五輪米代表とミュンヘン五輪日本代表の激突となった。
「鶴田がいきなり飛んだ。電撃のドロップキック先制攻撃だ。ガニアの顔から笑いが消え、クリーンなガニアが鶴田の顔面を張った。一瞬のショルダーブロックからドロップキック2連発。鶴田の巨体が吹っ飛び、ガニアは背後から蛇のようにまとわりつく恐怖のスリーパーホールド(裸絞め)。鶴田の両腕が虚空をつかんでだらりとなった(19分12秒)。2本目、鶴田はガニアの下から潜ってアマレス流の“横崩し”から一転してネッククラッチホールド。さらにドリー・ファンク・ジュニア流のスピニングトーホールド。鶴田はスッと体を落としてジャーマンスープレックス(原爆固め)。後頭部を強打したガニアは横転して逃げようとしたが、鶴田は必死に引きつけ、ついに1本を取った(9分54秒)。3本目、ガニアも必死だ。しかしスリーパーホールドでも落とせない。ガニアが勝負に出た。ドロップキックの追い打ち。キャンバスに落ちてフラフラの両雄。ガニアは最後の力を振り絞ってバックドロップ! だがヒザが崩れて両雄はキャンバスに後頭部を叩きつけた。長々とのびる鶴田とガニア。ここでレフェリーが非情な10カウント。両者カウンテッドアウトだ。『鶴田よくやった!』という観衆の称賛が飛んだ」(抜粋)
鶴田の大健闘だった。ここから3年半、同年6月のテリー・ファンク戦と翌年6月のハーリー・レイス戦はNWAヘビー級戦として行われ、王座奪取はならなかったが、レイス戦は年間ベストバウトに選ばれた。最終戦績は4勝2敗4分けに終わるも、この十番勝負が後に“怪物”と呼ばれる鶴田の基盤をつくったのは間違いない。ガニアとの引き分けから8年後の84年2月23日蔵前で鶴田はニック・ボックウィンクルを撃破し、日本人として初めてAWA世界ヘビー級王座を獲得したのも何かの因縁かもしれない。 (敬称略)













