3日に肺炎のため89歳で亡くなった長嶋茂雄終身名誉監督の通夜・告別式が都内の斎場で8日までに執り行われた。愛弟子である巨人OB・松井秀喜氏(50)が弔辞を読み上げた。
松井氏は弔辞の冒頭で「監督、きょうは素振りないですよね? その目を見ていると、『バット持ってこい。今からやるぞ』と言われそうでドキッとします。でも、今はその声を聞きたいです」と松井氏らしい言葉を投げかけると「ドラフト会議で私を引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。タイガースファンだった私は、心の中でちょっとズッコケました。しかし、その後、すぐに電話で『松井君、待ってるよ』と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました」とこれまた〝ゴジラ節〟で当時を振り返った。
恩師である長嶋終身名誉監督と2人で行った「素振り」をかけがえのない時間として挙げた松井氏。「監督を退任する日、私は最後の素振りだと思って、振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです。『何泣いてんだ。タオルで涙ふいて、ほら振るぞ』。そう声をかけてくださいました。それが最後だと思っていましたが、翌日もやりましたね。そして、次の年も次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです」と胸の内を明かした。
また、当時の知られざる秘話も初めて告白。「監督、私は現役時代に一度だけ監督にお願いしたことを覚えていますか。私はセンターを守っておりましたが、『監督、どうせなら私、サードやらしてくださいよ』とお願いしました。そしたら、『お前はサードじゃないよ。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオにしたいんだ』とおっしゃってくださいました。私は全くピンときておりませんでした」と回顧。
その真相が判明したのはそれからしばらくしてのこと。「ある日、素振りで監督のご自宅にお邪魔した時、私はそこにジョー・ディマジオのバットとジョー・ディマジオの大きな写真があることに気づきました。見逃しませんでした。監督は本当にジョー・ディマジオが好きなんだなと思って、また、その選手のようになれと言ってくれたことに、本当にその時、幸せに感じました。それから私は喜んでセンターが大好きになりました」(松井氏)
その後は同氏と同じヤンキースのユニホームにそでを通した松井氏。それだけに「その時、監督は、私がジョー・ディマジオと同じユニホームを着て、同じグラウンドでプレーすることを夢に思っていなかったと思います。もちろん、私も思っていませんでした。私が引退して、監督に挨拶に行った時、『監督がジョー・ディマジオって言ったから、私、ヤンキースに行ったんですよ』って言ったら、この笑顔を見せてくださいました。その時、初めて私は、大好きなジャイアンツを去ることになりましたが、これで良かったんだと思いました」と当時を懐かしみながら恩師との会話を明かした。
最後に松井氏は「今度は、私が監督を逃がしません。ですから、今日は『ありがとうございました』も、『さようなら』も、私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」と明るい言葉で締めた。











