【平成球界裏面史 近鉄編61】平成24年(2012年)、岩隈久志はメジャーリーグ挑戦1年目を迎えていた。前年に痛めた右肩のコンディションはまだ完璧ではなかった。それでも挑戦者として、スロー調整など許されるはずもなかった。
岩隈のメジャー1年目は現実を受け入れるという意味で過酷だった。日本では2度の最多勝を獲得するなど実績十分とはいえ、MLBではルーキー。海外から呼び寄せた助っ人として、戦力にならなければ即クビというリスクもあった。
そんな中、メジャーロースターに登録された選手のうち〝最後の最後〟に公式戦で登板したのが、岩隈だった。それが4月20日のホワイトソックス戦での中継ぎ登板だった。そこからリリーフ登板した4試合中、3試合で本塁打を浴びメジャーの洗礼を浴びることになる。
「力勝負をしていたのでは通用しない。別のアプローチを考えないといけない」
身体能力で勝るメジャーの野球。後に分かることだが岩隈がシーズン序盤、ブルペンに配置されたのは「体力不足」が原因だった。他の大リーガーと比較すると岩隈の右肩周辺の筋力が弱く、中4日での先発ローテを守ることが困難と判断されていたのだ。
日本のファンからすれば好投を続ける岩隈を、なぜ先発で起用しないのか。海を隔てて気になったものだが、根本的なところで〝不合格〟のらく印を押されていたわけだ。
だが、ここで岩隈は腐らなかった。近鉄時代の1年目には「割り箸みたいに細いな」などと言われたものだが、プロの練習に耐えて体を大きくしてきた。筋力不足ならば、それを補うトレーニングをするしかない。
手術明けだった右肩のケアをしつつ、肩の周りの筋肉の強化やインナーマッスルのトレーニングを地道に行った。その結果、後半戦から先発ローテの座を勝ち取り、16試合で8勝4敗という成績を残した。
岩隈には基本があった。近鉄での二軍時代に久保康生投手コーチから教わった基礎。体の軸をまっすぐに、自然の重力を使ってホーム側に倒れるように重心移動を行っていく。現在、多くの投手が表現する「角度のついたボール」を投げるコツを若い時代からつかんでいた。
これがメジャーの硬いマウンドにはマッチした。さらに、2シームを多用することでストライクゾーンを使いながら、球数少なくアウトを重ねていくメジャー式投法も徐々に取得していった。
「自分のボールを制球しながら、打者に考えさせる投球をするにはどうすればいいか。4シームとスライダー、フォークだけでは3打席目ともなると一流のメジャーリーガーは対応してくる。カーブで緩急をつけたり、経験の中から対処法を覚えていきました」
岩隈がメジャーの野球に適応した時、体力不足を指摘する関係者はどこにもいなくなった。















