場数を踏んで、文字通り代えの利かない人材となった。ゆえに、背負うものも大きくなった。昔かたぎ、職人気質らしいエピソードは語り草だ。

 浜涯打撃投手 故障ねぇ…あるっちゃ、あるね。首のヘルニアとか、足首の靱帯を部分断裂したりとか。首の時は休まんかったけど、靱帯の時は5日くらい休んだんかな。テーピングで固定して投げられたから投げとったよ。なんて言うんかな、そこは昔の人間だから。痛いのを我慢して変な球を投げて迷惑かけたら絶対ダメやけど、その前に自分の気持ちが許せんのよ。こっちは投げるのが仕事やから。

 周囲が気をもむほどの重症でも自分の持ち場を明け渡さなかった。確かな技術と気概を持ってかけ抜けてきた。肩肘張らず、場を和ませる人柄も魅力。そのオンリーワンの強みは球界内でも一目置かれ、求められる人材となった。

 浜涯打撃投手 2013年と17年、WBCに2回も行かせてもらってね。2回目は、小久保監督が「代表の監督になりました」って電話してきてくれて、その流れで「呼ばせてもらいます。来てもらえませんか」ってね。ありがたかったね。ただ、俺が出た2大会だけ優勝できとらんけどね!

 第4回WBCを指揮した小久保監督は浜涯打撃投手をこう評する。「コントロールの良さはもちろんなんですけど、腕の振りと球が一緒の投手ってなかなかいなくて、僕は天才だと思っている。なので、もちろん代表の時も呼ばせていただいた。国際大会の打撃練習は45分しかない。フリー打撃が1か所しかない中で、ボールばっかりだったら練習になりませんから。それくらい信頼して呼ばせてもらいました。あの年齢でそれができる。今もチームにいてもらって心強いです」。日本球界屈指の強打者・柳田はこう語る。「今も変わらず投げ続けられること、あの再現性の高さ。それが一番すごい。とりあえず60歳までやってほしいし、僕は余裕でできると思っています」。

 浜涯打撃投手 60歳現役は一つの目標。できたらいいなとは思ってるけど、こればかりはね、体が動いて投げられるかだから。いつ来るか分からんからね、投げられんようになる日が。それは自分でも分からん。他球団には50代後半で投げ続けてる先輩もいらっしゃる。でも、60代はいない。今の感覚ならいけそうかなっては思ってるよ。投げたいね、60歳になっても。だから、まだまだヘコたれちゃおれません!

 苦悩と葛藤を抱えて、人知れず去っていった仲間たちを見てきた。だからこそ、道を究め、今も投げ続けられる喜びをかみ締めている。背番号115が常にいる安心感をチームの誰もが感じている。打撃投手の宿命を背負い、誇りを胸に今日も一球一球、繊細に投げ込む。

 ☆はまぎわ・やすじ 1970年10月3日、鹿児島県串木野市(現いちき串木野市)生まれ。左投げ左打ち。鹿児島商工(現樟南)高を経て九州国際大に進学し、92年ドラフト会議で3位指名を受けてダイエー(現ソフトバンク)に入団。94年に一軍デビュー、翌年は32試合に登板し、96年9月26日の近鉄戦で初先発初勝利を挙げた。プロ通算58試合で1勝1敗1セーブ、99年に引退。翌年から打撃投手に転身し、2013年と17年のWBCに2大会連続で招集された。