【キューティー鈴木・白い青春(11)】1日12時間以上も芸能の仕事をしながらプロレスラーとして戦う日々…。そんな中、1989年6月23日の後楽園ホール大会で麻里ちゃん(プラム麻里子)と組んで、ダーティー大和、尾崎魔弓との試合で初めて大流血したんです。いつか流血戦をやるんだろうと覚悟はしていたんですけど、あまりにも血があふれるものだから驚きました。その後ふらふらする感覚があったような…。
2年後の1991年10月にはUWA&JWPジュニア王座をかけて、王者だったザ・スコルピオンっていうマスクウーマンとマスカラ・コントラ・カベジェラ(覆面と頭髪をかけた試合)をやったんです。デビューから6年目でベルトを手にしたことはなく一度は巻いてみたいベルトでした。 それぐらいのことをしないと王座に挑戦できないと思ったので、一瞬「頭の形が悪いから嫌だな」とよぎったけど「仕方ない!」って腹をくくって挑戦しました。ただ思ったより私が負けることを期待されていて、事務所からは「丸刈りになったら、またヤンジャンの表紙だから!」って。結局、勝ったので髪を切らずにすんでよかったんですけど、皆さんのご期待には沿えずでしたね…。
試合後、相手の子は「マスクを外したかった?」って思うくらい潔く覆面を脱いですっきりした顔をしていたのは覚えています。私もベルトを戴冠してからは「このベルトに見合う試合をやらなくちゃいけない」「ベルトの価値を下げちゃいけない」という意識が芽生えました。まさか私が最後の王者になるとは思ってなかったですけどね。
ベルトも取れてよかったんですけど、この時代試合をする上で嫌なことが一つあったんです。それは入場の花道に集まってきたお客さんから体を触られること。プロレスラーだから背中をバンバン叩かれるくらいなら仕方がないなって思ってましたけど、だんだん前の方や下の方を触ってきたりする人も。新日本プロレスの解説をしに行くと、お客さんを止めてくれる人が誰もいなくて。一人で解説席まで向かっている間に、あちこち触られて引っ張られて怖い目に遭ったんです。試合が終わった後、控室で自分の服を見たらボタンが全部なくなっていて「二度と行かない」と言った記憶があります。
私もだんだん黙っていられなくなってきて、ひどいときは一番嫌なとこ触った人の手を思いきりつねってやり返してましたね。そうすると大体「痛い」って叫び声が聞こえるので、その人を指さして新人の子たちに「アイツ捕まえろ!」って指示したこともありました。私の中でやられたままっていうのは絶対に嫌だったので、あまりにもムカつくと、やり返したり言い返したりしてましたね。













