【石井和義の光と影#13】東京・国立代々木競技場第一体育館で行われた「K―1 GRAND PRIX 93」(1993年4月30日)は第1回大会にふさわしい盛り上がりになりました。

 優勝はクロアチアのブランコ・シカティック。「石の拳」の異名を持ち、強すぎて相手がいなくなり前年に引退。この大会のために現役復帰したんですが、実は40歳くらいで2歳くらいサバを読んでたかな(笑い)。だからこそアーネスト・ホースト(オランダ)を1ラウンド2分49秒でKOした決勝は衝撃でしたし、あれでK―1が盛り上がった。なにせ、世間的には全く無名な選手が優勝したんですから。みんな「世界には強いヤツがいるんだな」って驚いたんじゃない?

 そりゃ、佐竹雅昭に優勝してほしかったですよ。1回戦は米国のトッド・ヘイズ、2回戦でブランコを当てた。つまりマッチメークした時はブランコは強くないと思っていたんです。八百長はできないけど、マッチメークはプロモーターの権限やから。それで反対側にホースト、ピーター・アーツ(オランダ)、モーリス・スミス(米国)を詰め込み、強い者同士でつぶし合ってもらった。

 とにかくブランコのはビックリでした。公開練習でも後ろ蹴りとかを見て「これは佐竹、いけるな」って。でも、実はパンチをほぼ見せていなかった。わざとキックばかり見せていたんでしょう。だから僕は、佐竹が2回戦で負けるとは思っていませんでした。「決勝まで行って、2位ならいいかな」と予想していたのが正直でした。

ホースト(右)は決勝でシカティックに敗戦(93年4月)
ホースト(右)は決勝でシカティックに敗戦(93年4月)

 ところが、想定外だった外国人同士の決勝戦でめちゃくちゃ盛り上がったんです。その時「世界最高峰の戦いを見せればいい」と確信したんです。もともと日本人って国を問わず公平な声援を送る文化があると思うんです。プロレスや格闘技だけではなく野球や相撲も。いい選手なら心から応援する気質を持っているんですよ。だから「ワールドGP」を開催するのに最適。海外は偏っていて自国選手に無条件でブーイングする国だってありますからね。

 逆に言えば、佐竹はよくやっていましたよ。当時は日本人として一人で戦う状況でした。しかも今説明した通り、外国人選手のほうが応援されることさえありましたから。武蔵もだけど、佐竹はもともと細かった。80キロから100キロに上げている。その一方で外国人選手は120キロくらいから落としている。だから上下で40キロくらい差があるんです。そのためにウエートトレーニングもケビン山崎さんの指導を受けて頑張ってくれました。

 さて、次回からは少し視点を変えて、当時のK―1とは切っても切れないテレビ局との関係についてお話をしていきたいと思います。 

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