【石井和義の光と影♯9】「正道会館」を1980年に立ち上げた後、当時大人気だった格闘技雑誌で宣伝することにしました。でも、広告を出すとお金がかかる。そこで大会に出て勝ち上がって記事にしてもらおうと思ったんです。

演武を披露する石井館長(右)
演武を披露する石井館長(右)

 そこでぶち当たった壁が「捌(さば)いても倒せない」こと。師匠の芦原英幸先生から教わった「捌き」の技術は横に回って相手を崩すのですが、崩せても相手だって反攻するし、つかめないとの問題を解決する必要がありました。特に当時はホームアドバンテージが露骨でフルコンタクト空手は他流派の大会で判定になると、勝てなかった。そこで「倒す空手」を目指しました。

 そんな時に、田中拳正先生が尋ねてきて「立派な道場だな。君はえらい」とほめ殺しにされて「お茶でも飲みに行こう」と誘われて仲良くなり、いろんなことを教えてもらったんです。例えば中心を捉えて力を加えれば物が壊れる原理とか。相手の中心を捉えてフォロースルーを入れるというのが「倒す空手」の原点になったんですよ。

 最初「捌きの先」が見えなかった。いきなり現れた田中先生から次のステップの「倒し方」を教えていただいた。それを受けてフルコンタクト空手で攻撃が許されている顔より下のどこを叩けば相手が倒れるかをみんなで徹底的に研究したんです。それを佐竹雅昭、角田信朗、柳澤聡行、川地雅樹たちにつないでいきました。

 それを組手の中でも研究し「倒し方」を研ぎ澄ましていきました。逆を言えば相手が倒しにきても、当たる瞬間に角度を変えて中心を外せば攻撃は効かなくなる。そんなことも覚えていろんな流派の大会で優勝し、いつの間にかマスコミが「東の極真、西の正道」みたいに盛り上げてくれるようになったんです。実際は小さな小さな組織だったんですけどね。

 そんな中、マスコミ関係者に「USA大山空手(※)の大山茂最高師範が会いたがっている」と連絡を受け、飯田橋のホテルで会ったら「僕たちは完全燃焼してないんだよ。完全燃焼するような大会をやってくれないか」と。「じゃあ、大阪でうちの全日本大会がありますから、どうですか?」って提案すると「大阪じゃダメなんだよー。東京でやってくれ」と頼まれました。

 当時は東京でイベントをやったこともなかったし人脈もなかった。だけど、大先輩の大山師範に言われたら返事は「押忍!」のひと言しかありません。でも、本当になんのツテもなかったんです。

 ※ 国際大山空手道連盟。フルコンタクト系の空手団体で、1984年に大山茂、大山泰彦、三浦美幸によって米国で設立された。

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