【石井和義の光と影♯7】1980年に“ケンカ十段”芦原英幸先生と決別し、6月に「正道館」を立ち上げることになります。でもその話をする前に一つだけ、寄り道をさせてください。
80年2月27日、芦原先生とともに「ウィリー・ウィリアムス(※)VSアントニオ猪木」の一戦が行われた新日本プロレスの東京・蔵前国技館大会に行ったんです。芦原先生によれば「もめるらしいから」。要はケンカになった場合の助っ人として芦原先生が呼ばれたわけです。僕は先生の助っ人。だからいつでも戦えるように、スーツの下にスニーカーっていうスタイルで行きましたよ。
僕らは二階席の上の方から見ていました。先生は「ここでいいよ。なんかあったらすぐ行くから」と言ってましたが、試合が始まるとすぐ「石井、帰るぞ」って。勘のいい方なので、一瞬でケンカにならないってわかったんでしょう。その後はラーメンを食べて解散しました。正直、僕としては、試合以上に芦原先生のケンカを見たかったんだけどね(笑い)。
とはいえ、極真空手の一員として“ケンカ十段”の芦原英幸があの場所にいたのは事実。それだけすごい大会だったんですよ。四国から来て途中で帰るのも先生っぽいですけどね。でも“ケンカ要員”として呼ばれたわけですから準備もしていました。実際、芦原先生も会場に入った時に靴ひもを結び直しているのを見て「この人、ケンカ慣れしてるな」と改めて感じましたから。もめたら極真のために“やる”つもりだったんですよ。なんだかんだ言って、極真を愛していましたから。
芦原先生に靴ひもを締め直させる“最後の暴力性”みたいなものが、猪木さんの言う「一寸先はハプニング」。それがないとプロレスは面白くないんです。「Breaking Down」のあおり方も、猪木さんがやってらっしゃったのを踏襲しているんです。当時、猪木さんが会見でやっていたことを朝倉未来君たちはユーチューブでやっている。逆に言うとキックボクシングとかはそういうのが足りない。会見して真面目に「勝ちたいと思います」では話題にならないでしょ。
その上、何か書かれたり言われたりしたら「私はそんなこと言ってません!」とかいう選手までいるじゃないですか。「お前、プロだろ?」って。鈴木千裕みたいに「クレベル・コイケの寝技なんて俺には通用しないんですよ。持ち上げてパワーボムです!」って言えばいいんですよ。それで寝技の選手が騒いで盛り上がって“アンチ”が付くんだから。実際に持ち上がるわけじゃなくても、それでいいんです。
※“熊殺し”の異名を持つ空手家。極真所属も「他流試合禁止」を破って猪木と対戦し破門。試合後に復帰。












