【石井和義の光と影♯2】僕は力道山が日本プロレスを旗揚げした1953年に生まれました。10歳のときに力道山が亡くなると、アントニオ猪木さんとジャイアント馬場さんの時代に。だから子供時代のスーパースターは力道山、猪木さん、馬場さん。最初に強さにあこがれたのはプロレスだったんです。

 その影響から僕自身は空手家だけど、プロレスラーをすごいと思っています。シンプルにデカいじゃないですか。だからK―1もヘビー級から入っていきました。大きい人はそれだけで強い。大きいってことは神に選ばれた才能なんです。だからこそ大変だったんだけど、その辺りの話は、今後に改めます。

 空手を始めたのは中学生のとき。2歳上のいとこが神社で形をしたり、瓦を割っていた影響から巻きわらを叩くようになってました。高校に入って本格的に指導を受けようと探した道場こそが、後に漫画「空手バカ一代」の登場人物として、その名を知られることになる芦原英幸先生の極真会館芦原道場でした。

 初めて会った時の芦原先生? かっこよかったよ! 歌手の加山雄三みたいに。愛媛の田舎で育った僕らは方言なのに「だってさあ…」「~じゃん」「~だよ」と東京弁。手足が長くてスタイルが良くて先生にあこがれました。それに基礎から習えたのは財産になりました。みんなの前で基本練習する姿を一番前で見ていました。考え方もすごく影響を受けましたよ。だって最初に本物の最高峰を見ているから。後にニセモノを見ても「なんだ、こんなものか」って思いますよ。

 芦原先生は指導の際に妥協しません。でも決して丁寧ではなかった。「シュッ!と横に入ってパチン!と蹴るんだ」って。それこそプロ野球の長嶋茂雄監督みたいな感じで。だから先生が「シュ! パン! パーン!」言うて教えていたヤツを、後に僕は「45度に横に入って、こういうふうにしてこう蹴るんだよ」と翻訳して教えることになるんです(笑い)。

 そういえば入門したころ、巻きわらや砂袋を毎日朝夕に叩き続けていた手がごつくなっていました。面白かったんですよ。手が厚くなり瓦も割れるようになって。ところが先生は「タコなんかつくらなくていいんだよ」と。「何でですか? 空手って拳ダコをつくってるじゃないですか」って聞いたら「スピードがなくなるからやめろ」と返されたんです。

 打撃ってスピードが2倍になると破壊力が4倍になるんです。だから硬いものを叩く練習ではなく、シャドーをし、サンドバッグのような柔らかいものを叩いて手首を鍛えるように言われたんです。ちなみに僕は空手と並行して毎日アルバイトをしている生活でした。というのも…。

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