【石井和義の光と影♯8】1980年6月、大阪・西成区の岸里に会議室を借り、空手教室を立ち上げました。名前は「正道館」。僕の中で「会館」は道場をつくって初めて名乗れるものだったので、その後に後援してくださる方が現れ、大阪・天満駅前に「正道会館総本部」ができました。

「正道」の理由? 大阪で「世の中は光と影、陰と陽、良いことと悪いことで成り立ってる」と思い知りました。そこで夢に向かって正しい道を歩むようにと。「正しい道の会」って簡単すぎて幼稚すぎて純粋すぎるじゃないですか。でも「正道しかないねんな」と思ったんです。人はなんのために生まれて、なんのために死ぬかまで全部分かって「正道」を説けるようになりましたから。

 天満を選んだのも理由があります。大阪市は大きく「キタ」と「ミナミ」に分かれる。ミナミの中心・難波には辞めたばかりの芦原道場があるから、その辺りはマズい。だから今度はキタの中心である梅田駅の近くに出そうと思ったんです。でもえらく家賃が高かった。それで梅田駅から1個離れた駅で探したら、天満駅から見えるところに物件があったのでそこを借りたんです。

 当時、道場の物件は駅前であることを意識しました。あのころの生徒には高校生など若い男性が多かったからです。漫画「空手バカ一代」の影響もあったし、日本が高度経済成長だったからかもしれない。そういう人は自動車ではなく電車で移動するでしょ。だから通勤や通学途中に寄れるところを探しました。

 余談ですけど、今は違います。ジュニアの生徒が多いので駅前よりも親が車で送迎しやすい駐車場があるところの方がいい。特に郊外の大型ショッピングモールとのタイアップを考えたらいいでしょう。そうすれば親は子供を預けて週1~2回の買い出しとかの用事も済ますことができますから。電車に乗るような学生や若いサラリーマンはあまり来ません。そういう世代はキックボクシングや柔術が人気です。

 つまり道場も、時代のニーズに合わせた経営が必要なんです。当時は雑誌の時代で「格闘技通信」や「ゴング格闘技」とか「フルコンタクトKARATE」と、たくさん出版されていたんです。その力を使って宣伝しようと考えました。でも広告を出すとお金がかかる。だから大会に出て勝ち上がって記事にしてもらおうと思ったんです。

石井館長(左)は83年空手道選手権の表彰式に参加
石井館長(左)は83年空手道選手権の表彰式に参加

 それで柳澤聡行、佐竹雅昭、角田信朗みたいな選手を鍛えて、士道館とか佐藤塾とかの大会に出して優勝する。すると思惑通りマスコミで「常勝軍団・正道会館はなぜこんなに強いのか」と話題になります。常勝軍団のつくり方? それはある人との出会いがきっかけです。それは…。

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