【石井和義の光と影♯10】他流派の大会で勝って名を上げていった正道会館は、毎年の全日本空手道選手権大会も開催しながら順調に成長していきました。
そんな中、USA大山空手の大山茂最高師範から「完全燃焼するような大会をやってくれ」と依頼され、1991年6月4日に東京・国立代々木競技場第二体育館で「USA大山VS正道空手5対5マッチ」を実施しました。アマチュアの大会を開催したことはありましたが、プロは初。しかも大山師範の強い意向でなんのツテもない東京で行いました。
でも、できないことにチャレンジするのが面白い。大阪で稽古が終わってから深夜に車で東京へ移動。カプセルホテルで仮眠をしてから業者と打ち合わせをしてイベントの準備をする日々が続きました。結果、イベントは大成功。チケットは完売し、2万円のリングサイド席をダフ屋が20万円で売っていたとか。会場に入れないファン約500人が「入れろ!」と騒ぐのを係員が「無理」と制するほどでした。盛り上がった理由? それまでの大会で“お客さんの見たいものを提供すること”が大切だと分かっていたからでしょう。
だから空手っぽい照明や音楽を入れて。メインは佐竹雅昭と“熊殺し”ウィリー・ウィリアムスの対戦(引き分け)だったので、コールはリングアナウンサーの田中ケロちゃん。「ウィリーとアントニオ猪木さんの試合があったから、同じようにケロちゃんに」って理由でしたけど。そういう“仕掛け”で、試合前にはみんなエクスタシーにいってるわけです。だから試合は多少普通でも問題なかった。
正道会館は、かねて「お客さんの目」を意識してました。リングも88年の第7回全日本大会から導入しました。もともと空手は場外が多かったので12メートル四方の試合場に9メートル四方のリングを置いたんです。これなら場外がなく逃げられない。加えて再延長戦になったらグローブをはめて顔面攻撃ありのルールにしました。これで新しい駆け引きが生まれたんです。
90年の第9回大会はプロレスラーやテコンドーの選手を呼んで異種格闘技戦っぽくしました。そういうことを踏まえていた経緯から5VS5マッチも大成功。すると、大山先生から「ありがとう! 完全燃焼できた」と喜んでもらえましたね。
この大会をきっかけに正道会館の人気が出てきて、新日本プロレスの横浜アリーナ大会で佐竹が演武を披露しました。前ちゃん(前田日明)からも声をかけてもらって、91年12月からリングスにも参戦。そして92年3月から格闘技オリンピックを3大会し、K―1誕生へと続くことになります。ただ、その裏でもう一つの大きな成功がありました。それは…。












