【松本薫の野獣道(14)】2016年のリオデジャネイロ五輪に向けてQちゃん(シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子氏)の言葉を聞いて、ふわふわしている自分を許せました。そうしたら私自身の戦いって自分のためではなく、誰かのためだなと改めて思いました。12年ロンドン大会の時はお母さんを五輪に連れていくことが自分のためでもあったので、走り切ることができました。16年リオ五輪は誰かのためというのがありませんでした。
13年の春前だったと思います。いつも戦略的に人の心理状態などをよく見ていたのと、本を読むのが好きだったので、うつ病や摂食障害に関する本とかも図書館で借りて部屋に置いていました。
その時にたまたまお父さんが東京に遊びに来たんですよ。図書館で借りた本があまりにもポンと置いてあったので、お父さんが「薫、つらかったらわしじゃなくても、お母さんにでもいいから相談しな」と言われて…。最初は何を言っているんだろうと思ったけど「わかった、でも大丈夫やよ。ありがとう」と返事をしましたが、お父さんは「うーん」みたいな顔をしてました。
お父さんは私のことをよくわかっているので「ロンドンではありがとう。お母さん、すごい喜んでいた。次はわしをリオに連れていってくれ」と。その言葉が私の中にピーンと入ってきて「次はお父さんを五輪に」って。Qちゃんが言っていた「新しいおわん」づくりが始まりました。私には柱づくりのイメージが強いですが、自分の軸ができたので復帰戦(13年講道館杯)に向けて再スタートを切ることができました。
復帰後は五輪女王のしんどさを感じました。1年休んでいる間に選手は入れ替わるし、若い天才たちはたくさんいる。でも(五輪金メダリストのみが付けられる)金ゼッケンは私だけだから、そういう自分でいなきゃいけないとカッコつけた時期もありました。でもそういう時はやっぱり負けるんですよ(笑い)。
リオ五輪に向けては本番から逆算するのですが、全然計算通りいかなくて。焦りというか、後がない気持ちでした。でも崖っぷちの方が私、強いんです。追い込まれた方が吹っ切ることができるので。常に瀬戸際に立たせてくれた若い子のおかげでイメージを持ち続け、何とか2度目の五輪切符を手にすることができました。












