【松本薫の野獣道(9)】私もクレイジーなやつが「一番怖い」と思っているので、常にそういう存在でいようと考えていました。
例えば全日本の合宿では、朝練で走ってキツくなってくると、みんなヒザに手を置いて肩で息を吸うんですよ。普通の選手が疲れた時の行動ですが、あえて手を伸ばし「あー、今日も楽しいね」とか言うんですよ(笑い)。周りは「こいつ大丈夫か?」みたいな雰囲気になりますが、しんどい時こそ笑顔とか、みんなと逆の行動をすると「あいつは何を考えているかわからない」と思わせることができるので。
そんなクレイジーさはずっとつくり続けていましたよ。もちろん海外でも一緒です。日本の選手たちは海外に行っても、外国の選手たちとあんまりご飯に行かないのですが、私はあえて外国の選手とご飯に行って、仲良くなるということもやっていましたね。
常識じゃなくて非常識をつくるという戦いを心掛け、2010年世界選手権(東京)では57キロ級で日本人初の金メダル、日本勢としても通算100個目の金メダルを手にしました。だけど、やっぱり日本ではずっと「ひきょうな柔道」とか「こんなの日本柔道じゃない」と言われていましたね。柔道界では異質な存在だなと感じていたので、どうせ五輪が懸かった試合で勝っても「応援されないよな」「認められないよな」と思うようになって、だんだん心が折れていきました。そんなにメンタルも強くなくて、こんなに人に言われてまで、何のために戦っているんだろうなとも考えていました。
でもある日、中学生の時の自分が出てきて「お母さんを世界に連れていくね」と誓った出来事の記憶がフワッとよみがえってきたんですよ。まだ若かったこともあって本当にしんどかった。あるとき、その言葉がパーンと頭の中に入ってきて、涙がスーッと流れたんですよ。「あ、そうか。私の戦う意義は母と自分のため、この2つのためだったんだ」と。自然と軸が固まりましたね。
それからは不思議と何を言われても何も感じなくなりましたね(笑い)。「ひきょうな柔道」と言われていても、日本で一般的なスタイルに戻したところで世界では…とわかっていたので。周りの冷たい言葉に動じず、自分の軸を大切にしたい、それが価値のあるものだって。動じずに戦い切れるようになり、12年のロンドン五輪につながりました。












