【松本薫の野獣道(4)】特にモチベーションもなく柔道を続けてきましたが、1つ目の転機となったのは2001年の全中(全国中学校柔道大会)でした。私が中学2年で、1つ上の姉(明子)が中学3年で出場し、2人とも準決勝まで勝ち上がってしまったんですよ(笑い)。すると、ふと先生が姉の方に付いたので「今だ!」と思って準決で負けたんですよ。「決勝なんて行きたくない」と思って(笑い)。
 姉もどちらかというと、同じモチベーションでした。本当は2、3回戦で負けるはずだったのに「薫が決勝に行くだろう」と思い、姉のプライドとして勝ち上がったみたいです。それで準決勝も勝ったのに、私が負けているから、胸ぐらをつかまれて「お前が勝ち続けるから負けることができんかったやろ」って(笑い)。でも「もう決勝まで来たから勝ってくるわ」とか言って。本当に優勝していました。

 大会後、私の中では「全国3位か、結構頑張ったな」と思っていたのですが、地元に帰ってきたら「おめでとう」と言われたのは優勝した姉と、同じ道場で優勝した子だけ。私は良い結果だと思っていたのに全く「おめでとう」と言われなくて「残念だったね」と言われたのが、すごく悔しかったです。次は「おめでとうって言われたいな」と思い、初めて自分から「勝ちたい」と思うようになりました。

 きっちり翌年の全中に優勝しましたが、初めて試合で緊張したのを覚えています。勝ちたいと思って戦ったことがなかったので、緊張、恐怖心とかは全部そこで覚えました。優勝できた時はすごくうれしくて、柔道に対し「少しは夢を持ってもいいのかな」って。中学3年の時に五輪とか、世界を目指してもいいのかなと思いましたね。

 初めて将来の夢を持ちましたが、それも、すぐに打ち砕かれました。全中後に谷(旧姓田村)亮子さんと合宿でご一緒させてもらったのですが、本当に何もできなくて「天才ってこういう人を言うのか」と。普通は悔しいという気持ちになると思うのですが、全く出なかったんです。「この人に勝たないと五輪はないんだ」と思った瞬間に無理だなって…。

 ジュニアの合宿はたくさんあるので、海外にも行くようになったのですが、そのタイミングでお母さんが「薫は柔道でいろんな世界に行けていいね」と。なので「お母さんを世界に連れていくね」と約束をしました。この言葉が後々につながってくるのですが、当時は谷さんと出会って「世界は無理だな」と思ってしまいました。