【松本薫の野獣道(6)】2004年の秋だったと思います。5歳から柔道を始めて17歳になった私から柔道をとったら何が残るのかなと考えて「辞めるとしたら今なんだろうな」と思っていたのですが、心の片隅に後悔が残っていました。
陸上がやりたいとか学校の友達と遊びたいとか、したいことはいっぱいあったのに、道場の先生に「辞めます」と言う勇気がなく、ズルズル続けてきた結果、何も成し遂げていないことに気づきました。いま辞めたら後悔を抱えたまま生きていく。それは絶対にイヤだったので「柔道で何か一個でもいいからつかんでみよう」と真剣に向き合うことを決断します。そこがスイッチでした。
高校2年の後半になって初めて自分の柔道について「何が足りなかったのか」と頭を巡らせると「目標がなかったんだろうな、目標までの逆算も足りなかったな」と感じ、まずは日本一を目指そうと決め、そのために必要なことを考えるのですが、やっぱりサボってきた分、時間が足りないことに気が付きます。
試合の日程は決まっているので、全体練習後も鍛錬します。時間がない分、居残りして補っていくしかなかったので。全体練習が終わると、みんなはプロテインを飲んで帰宅するのですが、スイッチが入った私は、ずっとトレーニングルームにいました。コーチが家まで送ってくれる時もあるのですが、最終バスの出発時間ギリギリまで練習をしていました。
インターハイ(全国高等学校総合体育大会)は規定もあって出場できませんでしたが、05年の全日本ジュニア選手権はオール一本勝ちで優勝しました。何かつかむという思いで、自分に責任を持って取り組んでいたので、そのころは自分で考えてやるスタイルになっていました。勝っても負けても全部自分の責任なので「このやり方でよかったのかな?」と自問自答する中で日本一になりました。うれしかったというよりも、結果が出せたという大きな安堵感がありました。
その一方で「しょせんはジュニアだろう」という思いも芽生えてきました。「日本一」になったとはいえ、上には上がいます。自分の中に何か残ったかと言われたら、そんなモノはありませんでした。なので「もう一個上に行くしかないな」と。そのために、次は日本一の大学に行こうと決めて、帝京大学に進学しました。最高の環境に飛び込めば「きっと何か見えてくる」という思いがありました。












