【松本薫の野獣道(7)】2006年の春、帝京大学に進学し、再び上京しました。初めての寮生活ではいろんなことを学びましたね。高校時代までは周りの人が「お疲れさまです」と言っていることに違和感がありました。私は別に疲れてないのに何で言われるんだろうって。だから「お疲れさまです」と声をかけられても「疲れてないから大丈夫よ」と言っていました。でも大学に入って寮生活を通じて人との関わり方、あいさつの仕方とかを一つずつ教えてもらったおかげで「お疲れさま」という言葉は、ねぎらいの意味だとやっと理解しました(笑い)。
帝京大では谷(亮子)さんの恩師でもある稲田明先生に指導を受けることになります。とても大きな存在で、他の生徒には「何やっとるたい」って博多弁で怒るんですけど、自分で考えてやるスタイルの私は怒られることがなかったんです。いつも褒めてくださいました。今まで、先生方に怒られたことしかなかったので「自分のやっていることは正しいんだ」と思えるようになりました。
まだ19、20歳と若かったので、どうしても自分の考えが迷子になりやすいんです。でも、稲田先生は、いつも笑顔で楽しそうに柔道をやっていたので「畳の上で笑っていいんだ」というのを初めて体感しました。今までは「絶対に笑ったらダメ」と教えられていたので「楽しんでいい」というのは新鮮でした。そうしたら急に気持ちが楽になりましたし、その後も楽しみながらも自由にやらせてくれました。それは自分の中ですごく大きいことで、初めて自信と肯定感が芽生えましたね。
帝京大に進学した当初、先輩とのレベル差をものすごく大きいものと感じていました。でも本来のレベルってそんなに変わらないのかなって。身体能力の違いや才能があるなと、感じることはありますけど、それを生かすとか、生かさないとかは結局、本人の考え方次第なんです。だから天才の割合を1%としたら、残りの99%はみんな惜しい選手だなとずっと思っていました。
私も1%しかいない天才のような身体能力は持っていませんでした。なので残り99%の選手たちが1%の天才に勝つためには「自分の戦い方を見つけなきゃいけないんだろうな」って考えていました。大学まで競技を続けるような選手はみんな惜しい99%の選手ですからね。どうしたら天才の壁を越えることができるのか。導き出した結論は、12年ロンドン五輪で金メダルを獲得した際に話題となった「野獣」になることでした。












